喪女と見る鬱映画〜無垢の祈り〜

 

『みんな、殺されちゃえばいいのに』

 

このブログタイトルを見てお気付きの方もいるだろうが、平山夢明作品が好きだ。長編より短編派。
今回は短編集『独白するユニバーサル横メルカトル』に収録されている『無垢の祈り』の映画版についてです。

 

綺麗なタイトルだろ?鬱作品なんだぜ、これ

 

時は2016年。ちょうど大学時代に平山作品に触れ、いくつか読み終えたところでタイムリーに『無垢の祈り』の映画化を知った。

原作既読の方は皆思ったことだろう。
「あれを!?………………でもまぁ『仔猫と天然ガス』とかに比べれば…」
と。

実際制作を始めるもスポンサーが全く見つからず、結局亀井亨監督による『完全自主制作映画』という形でのリリースとなった。
上映館も非常に少なく、映画祭系イベントを除けば今は亡き渋谷アップリンクと宮崎の映画館のみだった。
当然ソフト化も絶望的ということで観に行くしかない、と前者へと足を運んだ。

 

アップリンク。今や映画好きの間ではパワハラの代名詞となってしまった。(当時は問題が明るみになる前だった)吉祥寺の方もたまに気になるタイトルが上映されるが利用したくないなぁ、と足が遠のく。
ちなみに当作品は現在アップリンクの配信サイトのみで視聴が可能。もう一度観たいけど…ぐぬぬ…という感じである。

 

話が逸れたが結局この映画、なにがそれほどの問題なのか。

児童虐待である。

10歳の、少女への、物理的精神的、そして性的な、虐待。

ここで吐き気を催した方はブラウザ閉じてください。
そんなテーマを扱った小説の映像化。お察し下さい。


以下原作・映画両方のネタバレありますのでご注意を。

 

 

あらすじ

家でも学校でも理不尽に虐げられ続けている10歳の少女、フミ。義父からは日常的に暴行を受け、母は新興宗教にドハマリ。救いのない日々の中、フミの住む街に連続殺人犯が現れる。遺体を解体し骨という骨を持ち去る特徴的な犯行から『骨なしチキン』と呼ばれるその殺人鬼に、フミは惹かれていく。犯行現場を参拝するように巡り、メッセージを書き残していくフミ。そして…

トレーラー。これを含め全部で3つあります。
見ての通りロケ地はオタクみんな大好き日本のミッドガルこと川崎工業地帯。


元も子もない話をしてしまうと、この3つのトレーラーで出ているカットが劇中シーンのほぼ全てです。
これにここでは見せられないR18のエログロシーンが加わって約80分の映画になっています。
ので、エログロは無理!アップリンクに絶対金落としたくねえ!でも気になる!という方はトレーラーだけで雰囲気は充分味わえるのであとは原作をお読みいただければOKです。…と言いたいところなんですが原作と映画でかなり毛色が違う(後述)のでできれば両方見てほしい…。

 

フミという少女

上述の通りの可哀想な女の子。だがメソメソしたり悲劇のヒロイン面はせず、学校では殴られればやり返すし、靴を隠されればいじめっ子の靴を履いて帰るなど中々の強メンタル。それでも路地裏で絡まれたり家で待っている『大人』による暴力には為す術がないところが儚い。

工業道路のド真ん中をチャリで駆け抜け殺害現場を巡り、『アイタイデス』『アイタイ』『アイタイアイタイアイタイ』とチョークで書き付け、この場で殺された被害者になるかのように寝転がる。涙が出るほど悲しいのにどこか美しい。


ここも原作との相違ポイントだが原作では顔や頭を変形するほど殴られ、生傷や痣も絶えない結果『オバケ』と呼ばれているフミ。映画では普通の美少女である。

演じているのは福田美姫ちゃんさん。撮影当時フミとほぼ同じ歳の9歳(!)だったのだが、手脚がすらりと長く大人びて見える。ボサボサの髪に薄汚い格好をしていても美人。

そして何よりその演技力。台詞が少ないため表情による演技がメインという難しい役どころだが、その気迫が凄まじい。フミの設定や記憶をそのまま流し込んだかのような、この世の全てを憎み、怨み、しかしどこか諦めたような瞳。乱れた髪の隙間から見えるだけでもひしひしと伝わる感情。殺人鬼に宛ててメッセージを書いているときにだけ見せる少しだけ穏やかな表情。全てが完璧だ。

そんな既に女優の風格漂う彼女だが、こんな作品に出てしまって大丈夫なのかとちょっと不安になった。これも後述。

 

フミの周辺人物

義父

諸悪の根源。毎日パチンコか家でグータラするだけの典型的なダメ親父…どころか既に児童淫行でしょっぴかれている前科持ち。そんな奴が10歳の幼女と同居したらどうなるか、もう察せられるだろう。
気に入らないことがあればフミや妻を殴る蹴る、妻の目を盗んでフミにいたずらをする。愛人を堂々と家に連れ込み、挙句妊娠させる。どこまでもクズ。

演じるのはBBゴロー氏。名前を聞いたときはピンと来なかったが稲川淳二のモノマネの人と聞いてなんとなくあ〜…?となった。芸能人に疎くて申し訳ない。

氏の演技もまた凄い。DV野郎の荒々しい様子はもちろん、フミにいたずらをするときのニタニタした表情やラストのぶっ壊れたキ●ガイの演技も妙なリアリティがある。完全に狂った様子はともかく、それ以外は『いるんだろうなぁ…こういう奴が…』と、平和な世界で生きてきた人間でも思わせられる。

 

辛い現実から逃れる先を怪しい新興宗教に求めてしまった哀れな女。フミには基本的に優しいが、フミが、自分がどれほど理不尽な暴力を受けても「これはカルマのせいだ、前世の罪を清算できていない自分たちへの報いだ」といったことを口走り、警察に行くなど根本的な解決を試みようとはしない。

原作では彼女がハマる宗教の描写がそれなりにあるが、やはり新興とはいえ宗教絡みは映像作品においてタブーなのか、映画ではかなり削られている。そのため若干空気だが、終盤義父とフミの関係を知り逆上して包丁片手にフミに襲い掛かるシーンの迫力は必見。

 

トモコ

フミの唯一の友人。高校生くらいの車椅子の少女。
フミに殺人鬼の情報を渡すだけの役割で冒頭一瞬登場するだけなのだが、フミに唯一心を許せる存在がいる、というだけでも視聴者のメンタルダメージが少し軽くなる貴重な存在。

 

骨なしチキン

巷を騒がす連続殺人鬼のおじさん。登場人物と絡むのはラストだけなので基本的には彼のプロフェッショナルな仕事ぶりがたまに挟まる程度。

 

ロリコン耳ホクロオヤジ

冒頭、帰宅するフミに路地裏で絡んでくるキモいおっさん。室外機?の上にフミを座らせその身体をベタベタ触り、挙句謎の液体をかける変態。完全にアウトな行動もさることながら、「駄目だよ、そんな歳から男を誘ってちゃあ(※当然フミは何もしていない)」という台詞がキモさの極み。末路が残当

 

囚人服の女

中盤フミが見かける謎の女。考察ポイント。後述。

 

刑事

平山夢明ご本人、しれっと登場。彼とフミの会話シーンは冒頭のセリフが出るシーンなのでフミに目が行きがちだが違和感のない自然な演技をされている。

 

グロ描写について

R18+映画を観ようと思う時点である程度の耐性はお持ちだとは思うのだが、ゴア描写の程度ってやっぱり気になるよね。

結論から言うとゴア描写に関してはかなりヌルめ。首が飛んで血飛沫が舞ったりとかイタタタタってなるような感じではない。殺人鬼の仕事シーンが粛々と流れるだけ。画面は全体的に薄暗いし、執拗に見せつけてくる感じでもない。ひたすらカリカリコリコリやってるなーくらい。凡百のホラー・スプラッタが平気な方なら余裕。でも血も骨もモツもしっかり映るは映るので注意。

 

性描写について

R18+だからグロ映画かと思ったらえらい目にあったでござるの巻。

散々言ってきたがこの映画のメイン…と言うと語弊があるがR18+である所以は幼い少女への性的虐待描写のせいである。
だがもちろん生身の幼女にあんなことやこんなことはできない。しようもんなら関係者全員お縄である。


じゃあどうするか。


トレーラーでもチラッと出てきた何とも不気味な人形。
アレで代用するのだ。

 

形だけはフミに似せているが気持ち悪い、おぞましいとしか言えない造形の人形の身体を、義父が貪る。

機械的で固そうな四肢を余す所なく触り倒し、スカートを捲り上げ股の間に顔を突っ込む。人形は背後で女性が操っており、リアクションをするようにこれまた不気味に動く。異様な光景すぎて脳がバグる。

その様子をフミ自身は傍らにぼんやりと突っ立って見ている。アニメなどでもよくある手法の、『乖離した霊体や意識だけとなった自分が自分自身の肉体を見下ろしている』というやつである。

人間は辛すぎる事象に晒され続けると防衛機制として『あれは自分じゃない、別の誰かが受けているんだ』と思い込むようにできているらしい。(その結果解離性同一性障害にみられる『別人格』が生まれたりするそう)この描写はそんなフミの心理状態の表れといえよう。

 

また、このシーンを盛り上げる(?)のが、文字通りインダストリアルな機械音を中心とした音楽…というか効果音に近い。トレーラーでもちょっと流れますね。
余りにも生々しい描写に対する、無機質すぎるほどの音。対比がすごい。
この『ガンッ!!………ギィ〜…………ガンッ!!!』みたいなやつ、他にも至るところで流れるのだが結構な音量なので(観に行った日そこそこ体調悪かったのもあって)ちょっと頭痛くなってくる。普段ブレイクコアとかそれこそインダストリアル系EDM大好きなんですけどね。

 

というわけでアレな描写は人形におまかせでフミ(の中の人)は無事なので安心して見れ……ればR18+ではないのだ。

福田女史自身もかなり身体を張っていらっしゃる。

のっけからホクロオヤジに太腿をスリスリスリスリ触られているし、ラストに関しては完全にアウトとしか言いようがない。

制作サイド曰く、この手の描写は彼女には限界まで婉曲的に、意味がわからないように伝えた上で演ってもらったという。まぁ9〜10歳というと特にマセたガキンチョが『子供ってどうやって作るか知ってる〜?(ニヤニヤ』ってやってくるくらいでまだまだ性に関しては無知な子の方が多いであろう歳なので当たり前といえば当たり前なのだが…

 

無理ないか〜〜〜〜?????

 

いくら意味がわからなくても知らんおっさんに身体ベタベタ触られるのなんて生理的に気持ち悪いだろうし。

それにいくら当時はわからなかったとしても数年もすればあの描写の、自分が演じてきた役の意味を否が応でも理解してしまう時が来る。その時の彼女の精神状態を心底心配してしまった。未成年ましてや一桁の子役の最終的な意思決定権は保護者にあるだろうしなんであんな役やらせたんだこのクソ親ァ!!!ってブチ切れてもおかしくない。(※別に彼女の保護者を毒親と叩いている訳ではない)

あまりに心配になってしまったのでたまに彼女のWikipediaや事務所HPを見に行くようになった。少なくとも映画から2年後の2018年までは活動記録がある…が、それ以降は途絶えている。事務所HPが残っているということはまだ所属しているということなので休止中…なのだろうか。

2022年現在、17歳の彼女。仮に女優や芸能活動を辞めてしまったとしても、その理由は他にやりたいことが見つかったとかポジティブなものであることを願ってやまない。

叶うなら、いつかまた演じる姿を見てみたい。福田美姫さん、貴女は素晴らしい役者です。

 

ラストシーンと『無垢の祈り』


※ここからネタバレ色強くなっていきます

 


既読の方はご存知だと思いますが原作は結構ハッピーエンドな雰囲気で締められています。


邪魔な存在となったフミを弄んでから捨てる為にゴルフクラブ片手に発狂したような様子で追い回す義父。

10歳の女児に自分のブツをねじ込むには狭すぎると判断し、あろうことかカッターをフミの局部に押し当て切り裂こうとした刹那、遂に現れた殺人鬼によって頭をカチ割られて死亡。殺人鬼は『私を呼んだのは君かね?』とフミに語りかけ、大きな優しい手で彼女を抱き上げたところで物語は終わる。

著者の真意はともかくとして大抵の人はこのオチを受けて『こうして助けられたフミは殺人鬼のおじさんと末長く幸せに暮らしました。めでたしめでたし』とエピローグを付けるだろう。

 

この展開を180度ひっくり返してくれたのが映画版である。

 

まず色々間に合っていない。捕らえられたフミはパンツを剥がれ脚を開かされ実際にちょっと切られている。(そしてこのシーンは人形ではない。だからアウトだっつってんだろ)
ついでに片眼を潰されている。(原作では義父の眼を潰そうとするも『お前も同じにしてやる』と脅され怯んでやめている)痛い。
そこでやっと来てくれた殺人鬼。おせーよ!ヒーローは遅れてやって来ちゃいけない時もあるんだよ!!

 

そして。

 

(核心的ネタバレ)

 

 

 

 

『殺してくださいーーー!!!殺してくださーーーい!!!!!うああああ!!!!!!!!』

 

響き渡る少女の慟哭。

 

これまで喋ってもボソボソと呟くだけだったフミの最初で最期の、血を吐くような叫び。それはさながら産声だ。

その間殺人鬼とはいうと、蹲り嗚咽を漏らしながら叫ぶフミを黙って見下ろしているだけ。そしてそのままエンドロールへ。

救いがなさすぎて呆然としてしまった。
筋金入りのヘビーバッドエンダーでも予測されていた展開をひっくり返して急にお出しされる絶望にはびっくりしてしまうものだ。

 

このオチ改変は決して監督が勝手に暴走した訳ではなく、監督なりの『無垢の祈り』の解釈であろうと私は考える。


そもそも『祈り』とはなんだったのか。


原作であればコピーにもなっている『みんな、殺されちゃえばいいのに』であろう。自分を取り巻く環境の全てを、殺人鬼にブチ壊してほしい。実にシンプルだ。

まあ現実的に考えればそれは無理な話である。親父はとりあえず殺せたが、仮に殺人鬼がノリノリでヨッシャこのままおっちゃんがオカンも学校の奴らも全員殺したる!!骨集めとる場合じゃねえ!!ってなったとしても達成は不可能に近い。精々あと3キルくらいで捕まるだろう。
そんな子供じみた祈りであるが故の『無垢の祈り』だろう。

 

映画版は途中まで同じでも最終的なフミの願いは『死にたい』になった。更にシンプルだ。

死にたいと願う人間にかける最適な言葉というものは極論『ない』と個人的に思っている。「生きてればそのうちいいことあるよ」なんて幸福な人間のエゴの塊だ。糞喰らえだ。


この上ないレベルの地獄に生きる無力な少女の『殺してください』。誰にも為す術がない願いだと思いませんか。
こちらは無謀さではなくシンプルさを突き詰めた結果の『無垢の祈り』である。

 

考察〜その後と時間軸について〜

原作は短編だし割と単純な話だが映画版は所々に考察ポイントが置かれている。オタク大歓喜

 

よってここからは個人の考察になります。ネタバレだけ読みたかった方はお疲れ様でした。


まずラストシーン後。こんなオチなので映画版はどうあがいてもこっからフミが幸せになる展開が想像つかない。原作もあの後サックリ殺されててもおかしくないけども。殺人鬼の人格描写がないのでなんとも言えないがあれだけこだわりのある仕事人気質のサイコキラーなら片眼潰れたガキを連れて行くメリットはまずない。
望みを叶える形でその場でサックリが映画版軸のフミにとっては一番のハッピーエンドだ。


どっこいこの望み、どうも叶っていない気がする。


一番最初のシーンに立ち返ってみよう。殺人鬼とすれ違うフミ、片眼に眼帯をしている。
しかし本編ではしていないのでこのシーンはエンディング後ともとれる。


加えて中盤でフミが出会う謎の女。囚人服のようなものを纏い、傍らには首吊り縄。同じように眼帯をしている。傍らのラジオからはなぜか2030年代、つまり未来のニュースが流れている。

これらが示唆するのは謎の女=大人になったフミ自身というのが濃厚だろう。殺人鬼に同行してその犯行の片棒を担いだのか、それともその後も業苦の世界で一人生き延び何らかの形で犯罪に手を染めたのか。おそらく死刑になる直前の姿だ。


とにかくフミはあれから少なくとも20年近くは生き延びてしまったのだ……と言いたいのだが、そうするとある矛盾が生じる。


もう一度最初のシーンに立ち返る。殺人鬼とすれ違った後、ホクロオヤジに絡まれるフミ。この時点では眼帯をしているが、後日になって殺害現場巡りを始めたときにこのオヤジの特徴的な耳を発見している。この時点で本編軸なので、冒頭シーンを本編後とすると時間軸が交錯してしまうのだ。

 

…わからん。
でもこういう面白い構成になっているのは映画としては良い。

 

総評

人を選びすぎる内容なので軽率にオススメはできないけど雰囲気映画としては概ね満足。上述した通りトレーラーにほぼ全てのカットが入っているので鑑賞中『ここ見た』『ここも見た』の連続になってしまったのはややマイナス。
それでもフミのような子どもは現実にいる。他人事ではない。目を背けず見られる方はどうぞ。

 

他人事といえば氏の短編集『他人事』も面白いのでオススメです(宣伝)。


上映期間中、終演後に監督や平山氏、出演者を招いたトークショーがある回があったのだが私は行けなかったのでもし行った方いらしたらそこで得られた補足情報などあれば提供いただけると嬉しいです。

喪女と見る鬱映画〜ダンサー・イン・ザ・ダーク〜

年代別アニメ記事書き終わったら人生No.1&2アニメの個別記事書くぞ!と意気込んでたんですが更に熱量とクオリティを上げるために改めて円盤見直し始めてしまったのでもうしばらくかかるな…というわけで映画やゲームの話でもしようかと。
『鬱○○』シリーズもそのうち書くつもりだったし。


バッドエンドが好きだ。
所謂『闇のオタク・闇の腐女子』というやつである。
最終的にハッピーエンドに漕ぎ着けたとしても道中は地獄であればあるほどいい。推しカプの片割れもしくは両方が死んでも無邪気に手を叩いて興奮するタイプの重症患者だ。幸せになるな〜〜〜〜!!!

小学生の頃から深夜アニメでハードな展開を摂取していた故にこうなってしまったのかと思っていたがそれより前に読んでいたハレグゥも当時こそ意味がわからなかったが中々に闇が詰まっていたり(主にウェダ関連)児童書などにおいてもどうも湿っぽい話に惹かれる傾向があったのでもはや生まれつきと言っても過言ではないと思う。

でもなんで鬱展開に魅力を感じるのかはずっと疑問を抱える日々だった。
そして10代も終わりに差し掛かった頃、その答えは唐突に提示された。

とあるゲームの黒幕の思想である。

 

『希望は予定調和でツマラナイ、絶望こそ先が見えなくて面白い』

 

真理だ。
ハッピーエンドというのは最初からゴールが見えているのだ。

クソみてえなお涙頂戴感動映画のCMなどで『貧しい少年の元に訪れた奇跡、全米が泣いた感動の物語…✨』みたいなクソみてえなキャッチコピー、よくあるがこの一文でおおよその道筋は予測できてしまう。
逆に何のひねりもないホラー映画の『次から次へと襲い掛かる悪夢!』みたいな何のひねりのないコピーでも一体なにが起こるんだろうとワクワクしませんか。私はします。

なので鬱展開は面白いのだ。

そこからは漫画ゲーム映画小説あらゆる媒体でストーリーを基軸に選ぶ場合の指針は完全に決まった。後味最悪だの二度と見たくないだのの評判が高い系のものしか見ない。

人に「これ面白いよ」とオススメされても「鬱?」と聞き返してNoが返ってきたら即突っぱねるくらいの勢いだ。そうした結果私から離れた人々も多いが残ってくれた者は「これお前絶対好きだと思う」と各自選り抜きの鬱作品をプレゼンしてくれるので大変ありがたい。

オデ、類友、スキ。

 

これが『友情・努力・勝利』に唾を吐きかけ中指を立て続けてきた人間の生き様だ。

 

というわけで本題です。

 

Googleに『鬱映画』と打ち込んで検索上位に出てくる『心がえぐられる!?鬱になる映画10選!』的なクソまとめサイトにはほぼ必ずランクインしているほどの鬱映画の代名詞、ダンサー・イン・ザ・ダーク。(ちなみにだいたい1位の『ミスト』は個人的にはコメディだと思っている。)

実は名前だけ知ってる状態でつい最近まで見たことがなく。
大学時代に授業で見せられたことはあるのだが、90分という時間的制約の中かつ先生の解説を挟みながらなのでめちゃくちゃ早送りしながらであり『見た』とは到底言えない様相だった。

 

そうしていつかちゃんと見たいな〜と何となく思いつつ年月は経ち。
(当方、諸事情により映画鑑賞という行為に対して非ッッッ常に腰が重い。このへんについてはいつか書きます書きました

21年秋、突然『4Kリマスター版が各映画館で上映』というニュースが入ってきた。しかも何やら権利の問題とかで日本での上映はこれが最後になるという。
DiDを大画面で…というのはともかく、ビョークの歌を映画館サウンドで聴けるのはこれがラストチャンスだ。(当方元々ビョークのファンである。レディヘも好き)


行くしかねえ。そう思いチケットを取った。

 

世間はクリスマス一色(イーソー)の時期。そんな中独身女は鬱映画のチケットを握りしめ…と言いたいところだが電子チケットなのでスマホを握りしめて映画館へと向かった。

なんというか考えることはみんな同じなのか、映画館は『クリスマスに鬱映画見たろうぜww』的な陰のオーラを纏った者たちで溢れていた。もちろん満席。さほど広くないシアターに、また感染者が増え始めてちょっとピリついている時期にも関わらずギチギチに人が詰められている。カップルもいる。正気かお前ら

あらすじは調べればいくらでも出てくるので割愛。ここからは感想です。が、当然ながらネタバレを含むので未鑑賞の方はご注意を。

 

 

 

ダンサー・イン・ザ・ダーク』感想


・いい人多くない?

というのがストーリーに対しての全体的な感想である。なんかもっと嫌味な人々に悪意を受けつつメンタルを擦り減らしていく感じかと思ってたがセルマの周りには基本的に善人しかいないのだ。

最終的にセルマの金を盗み自らを殺させるように仕向けた隣人のビルですら金に余裕があった頃は善意でセルマに家(といってもトレーラーハウスだが)を貸し、その息子のジーンに自転車をプレゼントするなど普通のいい人である。
そう考えると金を浪費し盗みを企てるほどにしてしまったビルの妻が一番の悪人か…?いや、家族でありながら嫌われたくない一心で妻にお前金使いすぎやぞ!と言えなかったビルが悪いか。

…作中幾度もセルマに好意を伝えていたジェフと素直に結ばれていたらセルマは幸せになれたのだろうか。

 

・映像作品としての出来

一番の肩透かしポイント。トリアーがなんで手持ち撮影にそこまでこだわったのか知らんがま〜とにかく見づらい。酔う。リリイ・シュシュのすべてを彷彿とさせるレベルのガタガタしたカメラワーク。鬱映画、手持ち撮影好きなんか?

幸いにもカットの繋ぎ方というか組み立ては悪くないのでもう無理!とはギリギリならなかったのが救い。

ミュージカルシーンも現実シーンと比べて格段に彩度が上がり明るく派手になるということもなく、仮にミュージカル部分だけ切り取ってミュージカル映画です!と言ったら鼻で笑われるレベル。ビョーク+αの歌と音楽でもってるといった感じ。当該シーンだけはそっちのエキスパートに監修任せた方がよかったんじゃないかなぁ。

あと一番最初の抽象画みたいなのがひたすらウニャウニャ変化していくシーンはなんだったんだろう。やたら長いし。『セルマの心境を表している』と解釈している方もいたが初上映時は真っ暗で音楽だけだったとか。その方がよかったなぁ。ビョークワールドに浸らせてほしかった。

 

・音楽

言うまでもなくメチャクチャよかった…………。家帰ってからサブスクでセルマソングス100回聴いた。

劇中歌ももちろんいいんだけど冒頭のミュージカル練習シーンで歌っていた『私のお気に入り』が個人的にすごく好きでフルで聴きてえ〜〜〜とずっと思っていた。しかし当然アルバム未収録。ビョークが歌う『私のお気に入り』が聴けるのはダンサーインザダークだけ!

ストーリーも悪くなかったけど上記の映像が思ったよりイマイチだったこともあり本当に『ビョークの音楽を映画館サウンドで聴く』が本懐になってしまった。

・ラストシーン

この映画を鬱映画たらしめる象徴的なシーン。
絞首刑に処される直前、死の恐怖に錯乱するセルマ。そこに親友キャシーが駆け込み、息子の手術が無事成功したことを伝え、証拠としてセルマの手に彼の眼鏡を握らせる。そしてセルマは穏やかな表情で『最後から2番目の歌』を歌い始める。その様子に処刑を見に来た者たちも刑務官たちも一瞬困惑するが、歌の真っ最中に刑は執行され、『ゴギリ』という首の骨が折れるイヤな音と共に歌も、セルマの命も強制終了。

この骨が折れる音、個人的に賛否両論ですね。
空想の世界に浸ってばかりのセルマに突きつける『現実』の音としてはこの上なく最悪で最高。シンプルに悪趣味。
だが『映画としての美しさ』の観点に立つとちょっと安直というか安っぽいというか。完全に無音の方が美しいかもしれない。

その後の舞台のラストのような文字通りの幕引きからのカメラが下からグイッとパンしてタイトルロゴがドーンセルマが中盤で語っていた『最後の歌が終わってカメラが天井に向けられていくと興醒めしてしまう』と嫌悪していたものをメタ的に彼女に叩きつけるのは喝采レベルの悪趣味でよかったです(満面の笑み)。

 

・自分の幸せ、他人の幸せ

この映画を『鬱映画』と評する人々の大半はセルマの人生とその末路を指して『鬱』としていると思うのだが本当にそうだろうか。

セルマは『不運』でこそあれ『不幸』ではなかったと思う。むしろ愛する息子のために奔走し目的も達成できたのだから『我が生涯に一片の悔い無し』くらいだっただろう。

有名な話として本来この処刑シーンにおいて当初のトリアーの筋書きでは錯乱するセルマに追い討ちをかける形で手術が失敗したことを告げ、絶望の最中で死んでいく、という流れだったがビョークが余りにも救いがなさすぎると抗議した結果このオチになった、と言われている。
私も当初の筋書き通りだったらただの胸糞な駄作になりかねないと思ったし、このエピソードにより『手術が成功したと伝えたのは実は最期の優しい嘘だったのでは?』なんて考察も生まれ、映画的には成功でビョークGJ、と最初は思った。

最初は。

 

でもこの展開、逆に最悪な方向に転がってない?

 

この映画の真の鬱ポイントは遺された息子ジーンの立場になったときに初めて見えてくると私は思う。

 

DiDに良い評価をつけられなかった人のほとんどは『セルマにイライラした』からだろう。


めちゃくちゃわかる。


セルマは純粋だ。そして裏を返せばどこまでも愚鈍で独善的なのだ。

獄中のセルマに面会に来たキャシーが「息子の手術費用を弁護士費用に充てて再審請求をしろ、彼にとって必要なのは視力よりも母親の存在だ」と説得するも、セルマは「視力の方が大事だ」と譲らない。

文字通り盲目だ。

一般的観点で見ればキャシーの言い分が圧倒的に正しい。

セルマとジーンの親子仲がひどく険悪であったのなら話は別だが、ジーンは学校をサボりがちでもまぁ反抗期の範疇というか、女手ひとつで自分を育ててくれている母親を憎んだりはしていないだろう。

そんな彼が、後に自分の目を治すためだけに母親は不当な裁判結果を受け入れ死んだと知ったらどう思うだろうか。

 

そして、そうまでして母がくれた『視力』によって視えるものは美しいものなのだろうか。

 

私には、周囲の人々から殺人鬼の息子と後ろ指を指される姿しか想像できない。
しかもその『悪意』はなんという皮肉だろうか、母の『善意』によって『視えて』しまうのだ。


自分の姿を見て眉を顰めたり、嘲笑ったりする人々の顔が。


すれ違いざまに悪態を吐かれるのが聞こえるだけの方がマシかもしれない。

無言で蔑むような視線を向けられても盲目であれば気付くこともないだろう。

 

全てはセルマのエゴなのだ。

他者のエゴにより業苦渦巻く世界に置き去りにされ、その元凶はもういない。その時彼は何を思うのか。

 

ここまで考えてやっとめっちゃ鬱になった。

仮にセルマとジーンが直接面会してジーンがキャシーと同じ主張をしたとしてもセルマは譲らなかっただろう。それほどまでに盲目な様は一周回って愚かで滑稽ですらある。

それでもセルマは幸せなのだ。愚かな女だと嗤っても、その幸せを否定する権利は登場人物の誰にも、我々にもないのだ。

 

・『鬱』ではなく『哀しさ』

セルマはあれほど善良な人々に囲まれていても彼らの厚意に甘えることはほとんどしなかった。車で家まで送るというだけでも拒み、一時的にでも金を借りるような真似すらしなかった。裁判費に関してもそれこそ親友であるキャシーなら金を借りてもいつまでも返済を待っていてくれただろう。
このあたりの理由が仮に『失明と同時に死も確定している病なので借りを作りたくない(その借りを息子に遺したくない)』などといったはっきりしたものがあるならばともかく、その理由に関しては描写はされていない。

が、セルマの境遇すべてがそうさせたのは何となく察しはつく。

 

移民という肩身の狭い立場。
生まれながらのハンディキャップ。
息子への愛。

 

純粋であるにも関わらず、セルマは他人を信じることができなかった。それは心のどこかに人生への諦めもあったからではなかろうか。

 

我々は多かれ少なかれ他者を利用して生きている。時に欺き、陥れ、他者の頭を踏み付けて欲しいものに手を伸ばす。

セルマも人並みに悪知恵があれば自分に好意を寄せるジェフを都合よく利用することも、キャシーはじめ誰かに金を借りてそのまま逃げることだってできた。

しかし、そうするには彼女は純粋すぎた。悪意というものを知らなさすぎた。
その結果、この先息子に降りかかるであろう悪意も想像できなかった。

 

悲しい。あまりにも哀しい。

ダンサー・イン・ザ・ダークは悲しい映画なのだ。

 

『鬱映画』じゃなくて『泣ける映画』にカテゴリ移動していいのではなかろうか。

喪女と見る旬アニメ〜うる星やつらと令和リメイク〜

このブログ、基本的には「あったな〜」って感じの懐かしいものや私は好きなのに知名度が低かったり世間ではイマイチなものへの『好き』を語る場所として運用していく方針ではあるんですが居ても立ってもいられなかったので。
話題のトピックはみんな同じこと書いてるけど知らね〜!今回は勢いだけです。

 

令和版うる星やつら1話感想

 

令和版うる星やつら、見ました。

 

情報が出た頃は全然興味なかったんです。「あーはいはいまた令和リメイクね」と。
加えて私的高橋留美子作品=らんまなのでうる星やつらはあんまり記憶になく。
どちらもさすがにリアル世代ではないんですがらんまは前述の通りCATVで再放送を見て、後に原作も全部読みました。らんまは夕方に放送してたのに対してうる星やつらは割と夜遅めだったんですよね。それであんまり見る機会がなく。原作も図書館にあったのをチラホラ…程度。

なので軽く流しつつたまに目に入ると「やっぱ令和リメイクってポップだよな〜」などと思いつつ放送前の期間は過ごしていました。当然スルーするつもりで。

 

先日、ニコニコにOPが上がっていたのを見かけて「どんな感じなのかOPだけ見てみるか〜」と思った。
『あんまりソワソワしないで♡』から始まらないうる星なんて…!と思いつつ再生した。

 

かわいい〜〜〜〜〜〜〜〜。

 

なんこれ…めっちゃかわいい………。
キラキラしている。
曲もポプテピっぽいポップでキュートな令和スタイル。
あたるがスマホを持っている。
そして現代ファッションに身を包んだラムちゃん

おそ松さんみたいな絵柄と色使いだ〜と思ったところで(実際おそ松さんキャラデザの浅野直之氏担当なので当たり前)一瞬おそ松さんみたいな現代設定リメイクなのか?と思ったけどどうやらそうではないらしい。

 

これがまた秀逸だな〜と思った。
安直な時代設定変更はしない。
でも令和を生きるラムちゃんたちも見たいよね?
これに対する答えとなるOP。感服した。

 

とりあえず一話は見てみよう。とアマプラを開いた。

さすがに一話の内容は覚えている。あたるとラムちゃんが鬼ごっこしてラムちゃんのブラを引っぺがす話。

 

あたるが喋る。「古川登志夫じゃん!!!!」と思わず叫んだ。いや違う。紛れもなく神谷浩史だ。でもそのくらい神谷浩史諸星あたるだった。
しのぶの声はあんまり覚えてなかったが確かにこんな声だったな〜〜という印象。内田真礼
本物の古川登志夫はあたるの父として登場しつつ、満を持してラムちゃん登場。

 

「んん…?……あ、ラムちゃんや…………………」

 

多少の引っかかりを一瞬感じつつもすぐに腑に落ちた。ラムちゃんだ。ここで「平野文じゃん!!!!」とならなかったのはそれほど平野文=ラムという構図故であろう。上坂すみれラムちゃんだった。

あたるcv神谷浩史は単純に親和性が高すぎて違和感がなかったのに対し、ラムcv上坂すみれは無理に元に寄せようとせず、かつイメージを壊しすぎない絶妙な塩梅だと思った。プロとはこういうことか。

 

ここでまずキャスティングが完璧であることを知る。

いやだってさぁ、『声豚100人に聞きました!22年にうる星やつらをリメイクするならあたるとラムの声優は誰にする?』って聞いたら9割は神谷浩史上坂すみれって答えるじゃん(極論)。実際声豚まではいかない一端のオタクの私ですら上記で答えたと思う。
公式サイト見たら今後出てくるメンツも『これしかない』で固められててこやつめハハハみたいな笑いが出た。宮野面堂に花澤ランちゃんとか早く聞きたいしかない。

 

そんなこんなで鬼ごっこ開始。ちゃんと旧国立競技場
原作&旧アニメではブラ剥ぎ取るシーン、なんか吸盤のついたマジックハンドみたいなので取ってた記憶があるけど令和の男(ではない)は自らの手で掴み取った。
恥じらうラムちゃんはなんぼあってもいいですからね。

 

そんな感じでAパート終了、これまたかわいいアイキャッチを挟みBパートへ。

 

次はあたるとしのぶが電話するのをラムが妨害する、という話。これは初見。

黒電話だ!各家庭ごとに違うお洋服着てる黒電話だ!私はギリギリ黒電話に触ったことがあるアラサーです。

今でこそ電波で妨害、と言うことに何の違和感もないが当時は線で繋がってる電話しかなかったのだがそのあたりどういう扱いだったんだろう。いやまあ電気信号である以上道理は通ってるけども。
あたるとしのぶの通話にラムが介入している図が映っているモニター、Zoomレイアウトで草。

 

とまああとはいつものオチで終了。
EDもポップかつどこかレトロでまたかわいい。フライデーチャイナタウンぽいはわかる。

このOPED手がける方々、全く存じ上げなかったんですがいわゆるTikTokで流行る系のやつの人たちなんですね。納得。歌も作編曲も17歳18歳とかで腰抜けた。最近の10代、強すぎん?なんも勝てん

でもこの人選もまた大正解なんですね。この歳の子なんて『うる星やつら』というタイトルを聞いても精々『ラムちゃん・だっちゃ・あんまりソワソワしないで』くらいの知識しかないでしょ。だからまっさらなイメージから自由に作り出せるんですね。
かつてDTM齧ってた者として仮に今『らんまリメイクするんでOP書いて下さい』なんて言われた日には荷が重すぎて胃に穴どころか腹部に風穴空いて全ての臓物が漏れ出すわ。フェイタリティ。

 

そんな感じで概ね満足の第一話。

 

ひとつだけ、ひとつだけ不満点を挙げるとすれば…

 

ラムちゃんの飛行音

 

あのピョロロロ〜みたいなやつ〜〜〜〜!!!あれだけは変えないでほしかった〜〜〜〜!!!!!それほど我々の耳と心に根付いてるんだな、あの音…。

 

今期は唯一見ようと思ってたポプテピ二期がニコニココメ付で見れないと知り萎えてなんも見る予定なかったので楽しみができてよかったです(小並感)。

 

『令和リメイク』を考える

ここからは昨今の懐かし作品のリメイクについての語り。

 

80〜00年代初頭あたりの作品のリメイクはリアタイ世代と「お父さんお母さんが子供の頃見てたって言ってたやつだ〜(致死ダメージ禁止カード)」なZ世代への完全新規アプローチが主だ。

しかし後者はともかく前者は中々難しい。『思い出補正』という高い壁が立ちはだかるからだ。

懐かしの作品を令和の世にどうリメイクするか。

 

その試金石として選ばれたのが『おそ松くん』である。

 

これ、今思えば完璧すぎるセレクトで慄いている。

というのは、語弊のある言い方になるが『おそ松くんのガチファンとかおらんやろ』という地盤があったからだ。
これは貶しているわけではなく、ここでいうガチファンというのは現代オタクのような『特定のキャラをゴリゴリに推すオタク』『原作or旧アニメの声優や作画等々への思い入れが強すぎるオタク』のことである。
全員同じ顔でバカボンの陰に隠れ気味な薄味ギャグ漫画であったおそ松くんは真っ白な塗り絵同然であっただろう。

そして以前の記事で例えた『濃いめの味付け』が120%ハマった。

没個性であった六つ子に誰でも個人が識別できるほどの濃厚な個性を与え、脂の乗った声優を惜しみなく充てがう。モノクロだった世界も過剰なまでにカラフルでポップに。ついでにOPのあさき&96という名前で深海に棲まう音ゲーマーまで釣り上げて。あと赤塚先生なら何やっても怒らねえだろという信頼

 

ここまでくると最早別物である。それでも「こんなのおそ松くんじゃない!」と怒る層がいないのはほぼ確信していたのだろう。でもさすがに時代設定も年齢も変えてしまったので『成長したおそ松くんたち』ということでリメイクというかスピンオフに近い形でリリースしたのはなんというかもう『ずるい』の域である。

 

私は声優にホイホイされてあの今では封印されし伝説の一話をリアタイした。「とんでもねえものが始まっちまったな」ということだけはわかった。

 

結果としておそ松さんは大成功。それも下手すりゃおそ松くんのおの字も知らないZ世代に爆発的ヒットをもたらした。『おそ松くん(※おそ松さん)のBL同人誌』という並行世界にしかなさそうだったものが飛び交い、『おそ松くん(※おそ松さん)のコスプレ』というコミケでしか見ない文字列がSNSを占拠する。嘘松』という不名誉なスラングも生み出しつつも今尚舞台が打たれたりコンテンツの消費が非常に早い現代においてもかなり長期的なヒット作となった。

 

とはいえ、これはイレギュラー中のイレギュラーと言えるだろう。

 

既に一度アニメ化されて、高い評価を得ていたりする作品はやはり当時の思い出補正が強いのでここまで振り切ることは中々できない。逆に最初のアニメ化がイマイチだった作品は『今度こそ…!』とファンの期待値も跳ね上がる。
全く存じ上げないんですが封神演義は何があったんですか…?

 

やっぱり、無難に当たり障りなく仕上げるのが一番なのだ。

 

私の好きな作品の中だと比較的最近では魔法陣グルグルがリメイクした。

2クールじゃ絶対足りないのは承知の上だったが、やっぱりかなり駆け足で、端折られてしまったシーンも多数。

グルグルは原作に散りばめられている小ネタ(背景ネタなど)がとにかく多く、連載当時は有志が小ネタをまとめたHPを制作していたほどだった。私はそれを見てプリンターなどない当時、そのHPの内容を「●巻×ページ▲コマ目」といった感じでノートに書き写しては照らし合わせてほんとだ!とキャッキャしていた。

そんな個人的な思い出もあり、『絶対カットされるけどこのシーンのギャグ見たかった〜』というのが積み重なり、リメイク版アニメの評価は『』となった。

でもストーリー自体はちゃんとまとまってるし奇しくもこちらも浅野氏デザインによる原作中期あたりのかわいらしい作画にキャストも違和感なく初見でもちゃんと楽しめるという点では最低条件はしっかり満たしている。でもコアファンであればあるほど『惜しい』が勝る、そんな作品。

 

でもそれでいいんです。普通はそんなもんなんです。もちろん出来がよければよいほど嬉しいけど、最低限のアニメとしての体裁を守り、原作に泥を塗るような有様でなければファンは怒りません。

古参ファンはあわよくばリメイクきっかけに新規ファンの参入を期待しているけど「ちがうんです〜〜〜〜原作はこんなクソじゃないんです〜〜〜〜どうしてこんなことに…………ウウウ〜〜〜〜〜〜〜〜;;;」みたいに嘆いて回ることにならなければ思ったほど盛り上がらなくてもリメイクとしては充分成功なんです。

 

そんな製作側も視聴者側も諸刃の剣、天国と地獄なリメイクにおいて絶妙な昭和と令和の匙加減を実現したうる星やつらはやはりおそ松さんの前例あってこそだと思う。

 

あとリメイクに食指が動きにくい理由をもうひとつ。

 

昔の作品ってシンプルに長いんですよね。
長期連載は当たり前、全50巻以上もザラ。
オタクは老いると年々アニメを見たりゲームをする体力がなくなっていく生き物であることは散々語られているところで、『あの名作を全4クールでフルリメイク!』とか言われるとオッとなる反面「完走できるかな…」という不安が過る。

 

これに当てはまってしまったのがシャーマンキングジョジョ。散々ジャンプ貶しといて結構読んでんじゃねーかって言わないで。

マンキンは完結編まで読んだしジョジョは1345部履修済。ジョジョはもう長期戦が確約されていたのでせめて一番好きな3部だけでも…と思ったけど無理でした。マンキンもどうせ無理だし推し(マリ)が出たら起こして…そこだけ見るから…って感じだったけど結局見てない。今調べたら全52話ですって。無理。

 

そんな脆弱なオタクにとって一話完結型のアニメは救いである。うっかり一週見逃してしまっても問題なし、一旦飽きて離れても戻ってこれる。マジで最近完走できたアニメポプテピ一期くらいの人間にはありがたすぎる。おそ松さんもこのフォーマットなので一期は完走できた。一話完結、最高〜〜〜!!

 

てなわけでうる星やつらものんびり見たり見なかったりしながらやっていこうと思います。たのしみ。

チームラボでバッドトリップして号泣してゲロ吐いた話

アニメ記事ばかり書いてたので日記でも。とはいえ一年くらい前の話だし備忘録として。

 

2021年秋、今更チームラボに行った。開業したときから行きたいとは思っていたけどどうせ混むし会期めちゃ長いしそのうちでいいや〜なんて先延ばしにしてたらコロナ禍突入しさらに延びやっと今になって。

 

行ったのはお台場。理由は単純でパレットタウン閉業に伴いこちらの方が終了が早いからである。

会場に入る。壁をたくさんの蝶々が飛んでいる。よく見るとプロジェクションマッピング的なやつでその場にいる人にとまっていたりする。ふーんって感じである。

次の部屋に進む。いわゆるメイン通路で壁一面に極彩色の花や動物やらが絶えずゆらめいている。綺麗だ。でもふーんって感じである。

私は感受性が著しく乏しい。アートは好きだが心で感じるタイプではなく、こうやってできてるのか〜って分析して楽しむタイプである。映画やドラマで泣いたのは片手の指でも余るほど。生まれつきである。

そんな感じで特に感情を動かされることなくぼんやりと展示を見ていた。会場内に流れるアンビエント系のBGMが色彩も相まってこないだ観たミッドサマーっぽいな、などと思いながら。


そしてこの考えが後々の地獄を生むことになる。

 

2階に上がる。このフロアは『見る』より『体験する』タイプの展示が多く、家族連れで賑わっていた。デコボコした地面の上を、子供たちが描いたトカゲやら魚が走っていく。平日にも関わらずアトラクション系展示は順番待ちができるほどだったので諦めて周辺を歩きつつ眺めた。
地面の凹凸で平衡感覚が狂う。反響するBGMと子供たちの声。ここで初めて「おや…?」となった。が、まだ来たばかりなので鑑賞を続ける。

 

再び1階に戻る。『滝の部屋』と言えば行った方はわかるであろう広い部屋で再びぼんやりとする。ここでようやく気付く。「あ、これミッドサマーっていうかLSDそのものだわ」と。

この空間には一切の『静』がない。音楽は絶えず流れ、景色も常に変動し続ける。日頃生活している中では遭遇しえない光景だ。

私は合法違法含めてドラッグの類は誓って使用したことはないが、自称含む経験者の方々のレポを読むのが趣味だ。それらに綴られていた光景が目の前にあった。ミッドサマーを観た有識者の方々が「薬物キメたときの景色の表現が完璧」と口々に言っていたのを思い出す。もっとも実際の幻覚剤というのはこの比ではないのだろうが、「今私は幻覚剤の世界を疑似体験している!」とちょっとテンションが上がった。

 

散策を再開。いくつかの部屋を経て無数の棒状のLEDライトで構成された迷路のような小部屋に迷い込む。チームラボの展示は基本的に薄暗い場所が多い中、この部屋は比較的明るい。というかいきなり真っ暗になったと思ったら突如真っ白な光で煌々と照らされたりする。

このあたりで本気で気分の悪さを自覚した。明暗の差が激しすぎて一気に体に負担がかかったのだろう。「これはまずい、早く出よう」と出口に向かう。

が、出口が見つからない。

部屋自体はさほど広くないのにも関わらず無数のLEDライトと鏡張りで自分がどこにいるかわからない。徐々に焦りが出始める。己の記憶力と空間把握力の悪さを呪いながら何周かした後ようやく出られた。

近くに休憩所があったので入ってベンチに腰掛ける。この休憩所はいくつかあるのだが、さすがにここには作品は置かれていない。少し休もう。そう思い目を閉じた。
しかしあの特有のBGMは多少ボリュームダウンしただけで変わらず流れ込んでくる。この部屋、防音まではされていないのだ。先程からずっと耳奥で反響している音。ここで「逃げられないのでは」という不安が過る。だがどうしようもないので休憩所を出た。

その後も館内を彷徨った後、先程とは違う2階へ上がる階段を見つける。スタッフの説明によると、地面がトランポリンのようなネットでできており、寝転がって鑑賞できる展示のようだ。正直この時点でかなり憔悴しており嫌な予感しかしなかったのだが、「せっかく来たんだから」のビンボー・スピリッツがここで発動してしまい、足を踏み入れることにした。

展示室は説明通り巨大なトランポリンというか蜘蛛の巣のようであり、一歩歩くだけでも転びそうになる。幸いちびっ子はおらず、中に入った大人たちは皆誰からともなく横になった。私は自身の状態を鑑みて揺れの少ない端の方に座った。
部屋は静かだった。天井には星空のような光が映され、さながらプラネタリウムであった。少し安堵する。やっと落ち着けるだろうかと深呼吸をひとつした刹那、

 

爆   音   襲   来

 

それまでのどの部屋でもなかったほどの大ボリュームであの謎アンビエントが始まった。思わず耳を塞ぎ、体育座りの膝に顔を埋めた。

視聴覚をシャットアウトしたと思ったら次は別のものに襲われる。『揺れ』である。部屋にいる人たちは皆大人しくネットの上に身を投げ出しているが、時折誰かが身じろぎすると、その振動は全体に伝わる。その揺れがまた何とも言えず独特なのだ。高層階にいるときの震度3〜4くらいのときの酔うような揺れに近い。まだちびっ子がピョンピョン跳ねてる方がマシだったかもしれない。
そこで思わず耳から手を離し顔を上げてしまった。それが運の尽きだった。

天井には極彩色のグチャグチャした線が蠢いていた。昔のWindowsスクリーンセーバーとかミュージックプレイヤーの画面みたいなアレだ。

 

遂にSAN値がゼロになった。

 

考えるよりも先に飛び起き、足場の悪い中を文字通り蜘蛛の巣にかかった蛾のようにもがきながら進み、部屋から這い出る。階段を駆け降りて出口を求めてひた走る。
しかし、出口に辿り着かない。

お台場のチームラボ ボーダレスは、名前の通り各部屋がシームレスに繋がっており、館内MAPも存在しない。『自由に散策して、自分で各地の展示を見つけてほしい』という制作側の意図である。

どれだけ『EXIT→』の文字の方に走って行っても出口らしいものが見えない。スタッフに訊こうにも見当たらない。どこまで行っても、どこまで行っても、あの極彩色とBGMが追いかけてくる。お化け屋敷のラストで気合いの入ったお化けのボスから全力で逃げるような状態で、半泣き半狂乱の私はついに命からがら出口からの脱出に成功した。

 

今尚夏の残り香を含む日差しに白く照らされた屋外は、ひどく彩度とコントラストが低く見えた。

 

しばらくその場で立ち尽くした後、小さじ半杯ほど残った意識が「とりあえず静かなところに行きたい」と呟き、最後の力を振り絞ってヴィーナスフォートのトイレまで重い体を引きずっていった。その姿はさながら敗残兵のようだっただろう。
個室に入り、そのまま壁伝いにズルズルと座り込む。
動くことのない落ち着いた木目調の壁で囲まれた、せいぜい出入りする人の足音程度しか聞こえない静かな空間。


それらを知覚した瞬間、涙が溢れた。


怖かった。本当に怖かった。そして安堵。


幼い頃からあまり泣かなかったタイプだが、中でも最後に『恐怖』で涙を流したのはいつだっただろうか。ホラーの類は平気だし、変質者に追いかけられたりといった恐怖体験もない。もしかしたら本当に幼児の頃以来かもしれない。
嗚咽を漏らして泣きじゃくる。涙と鼻水でマスクがビチャビチャになったので外して、かさついたトイレットペーパーで顔を覆う。

そして、涙が少し減ってきたところで「あ、」となった瞬間、脊髄反射で便座の蓋を開けて、吐いた。
もともと泣きすぎると吐く癖があり、心身ともに限界だったのがついに決壊した。胃の中身はほとんどなく、酸っぱい胃液だけが流れていく。舌が痛い。

泣いて、吐いて、いい加減落ち着いたかと思って深呼吸をする。だが目を閉じるとあの極彩色が瞼の裏で再び蠢きだして、また嘔気がこみ上げる。少し冷静になると「なんであんなもんでこんなガチ泣きしてんねん」というやるせなさでまた涙が出る。

そんなことを数回繰り返して、ようやくフラフラとトイレを出た。近くにあった自販機でミネラルウォーターを買って、ベンチに腰掛ける。鞄の中には持参したアクエリアスが入っていたが、水を買った。その心は一つで、これ以上『味』という情報を入れたくなかったからである。水は無味だ。これが本当にありがたかった。

死んだ目で動くことのない壁を見つめ続けて、ようやく働きだした脳は一つの答えを出した。

 

『帰ろう』と。


ここまで全く話題に上らなかったが一人で行ったわけではなく母と一緒に行ってきた。
私とは正反対で情動のみで生きる女である母も「さすがに少し酔った」と苦笑していた。
母はアラサーにもなって幼児のように泣きじゃくる私を、実際の幼児だったときと同じように宥めてくれた。本来であればこの後はショッピングを楽しむ予定だったのだが、私が「先に帰るから買い物してきていいよ」と言っても一緒に帰る選択をしてくれた。

これがもし同行者がどんなに気のおけない友人であったとしても楽しみにしていたイベントで突如私が錯乱号泣嘔吐した挙句先に帰るということになっては申し訳なさすぎると思ったので本当に身内でよかった。お母さんいつもありがとう。

その後せめてお茶だけしようと店を探していたら、カフェの看板に載っていたレインボーケーキなるアメリカンな極彩色のケーキの写真でフラッシュバックを起こしまた泣きかけたのは別の話。


以上がチームラボで私が体験した事象の顛末である。
断りを入れておくとこの日記にチームラボを貶める意図は一切ない。むしろアートとしてもサイエンスとしてもよくできていると思った。
が、かなり人によって向き不向きがあるのは確かであるということは伝えておきたい。

 

ここから先は今回の私の敗因について自己カウンセリングを兼ねて分析していくフェーズになる。お時間のある方はもう少しお付き合いいただけると幸いである。

 

恐らくこの手の状態に陥りやすいのは、『物事を理論で分析するタイプ』、つまり頭でっかちロジカル思考の人間だと思う。見たもの聞いたものを『情報』として処理・分析するタイプはあの空間のあまりの情報量に処理が追いつかずパンクしてしまうのだ。

冒頭で語った通り、私はアートは分析して楽しむタイプで、これどうなってるんだろう…あぁあそこから投影してるのか、これ動物に見えるけどよく見ると違う気がする…あっ全体で見ると別のものに見えるようになってる、といった感じでとにかくまじまじと見てしまう。それはそれだけ『情報』の量が増えるということであり、あっという間にキャパオーバーを迎えてしまった。ドラッグ界でいうとODである。

逆に感受性の高すぎる人はどうなんだろう。素直に圧倒されて感動できるのか、同様に押しつぶされてしまうのか、ちょっと興味がある。


ここからは豊洲の方に行かれる予定のある方向け。お台場は既になくなってしまったし私自身豊洲の方は行ったことはないし行くつもりもないので参考になるかはわかりません。

HSPの方、激しい光の明滅や大きな音が苦手な方は普通にやめておいた方がいい。ポリゴンショックのような激しい明滅や破裂音みたいなのが跋扈するほどの空間ではないが、『音や光あんまり得意じゃない』程度のレベルの方も予想以上にダメージを食らう可能性があるので充分注意してほしい。耳栓やサングラスを用意しておくと安心かもしれない。

 

チームラボの正しい楽しみ方は『Don’t think,feel it』であろう。理解しすぎない方がいいこともある。くねくねみたいなものだ。擬似ドラッグとしてカジュアルに楽しむくらいでいいのだ。
(※実際真偽は不明だが本当にキメて入館したらしき方のレポがチラホラ見つかる…。大丈夫なのか…?法ではなく精神面で)
せっかくなので某所にLSDをキメて突入した方のレポを貼っておく。もちろん場所、物質ともにフィクションであるのでご安心いただきたい。

概ねこんな感じだった。

 

少なくとも私は一年経った今もチームラボコラボのなんちゃらのWEB広告やらチームラボで撮ったであろう友人のLINEアイコンの写真を見ると息がヒュッとなるレベルのトラウマを負った。

 

決してアンチ記事でもお気持ち表明記事でもないことは今一度記載しておくが、早くなくなってくんねえかな〜〜〜〜〜〜〜

御託はいいから00年代深夜アニメの話をさせてくれ④〜07年編〜

厨学二年生。この時期から徐々にアニメ離れが始まった。
理由は様々だが、一番の要因はインターネットだろう。初心者にとってネットは日々新しいコンテンツが発掘される宝の山だ。


おもしろFLASH
2ch
YouTube
神絵師の個人サイト。
お絵描き掲示板。

 

日々のアニメ視聴のための30分はこれらに充てられるようになり、自然とアニメから遠ざかることになった。

2010年くらいから再び見るようにはなったのだが、年代別アニメシリーズは一旦今回で最終回です。

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=1593649

 


瀬戸の花嫁

未視聴。これはほんとに見ないといけないと思ってる。
『クソおもろい』とネットのどこかで聞いた頃には例によって放送中盤。WING本誌、買ってはいたけど毎月ではなかったし読み飛ばしも結構あったので「そういえばあったな」と思い、原作を購入完全に間違ったムーブ


アニメが原作を超えてしまった最たる例。岸監督×当時トップクラスに勢いのあったGONZOでハズレになるわけがないのだ。作者には可哀想な話だが『原作は買うな』とひたすら言われていた程である。


とはいえ私は原作しか読んでないのでこっちの話しかできない。

総評としては『そこまで酷くないよ』。

確かに絵は未成熟だがギャグの勢いとキレは充分だと思う。その荒削りながらも光る部分をしっかり拾い昇華した結果良作アニメになったのだ。
『原作は買うな』というのは『作画もギャグもブラッシュアップされて声もついてるんだからアニメを見た方がいい、わざわざ原作を読む必要はない』という意味であろう。


原作には原作の良さがある、だから原作も読んでみてね、と今は言えるがアニメ視聴後同じことが言えるのか、果たして。

 

らき⭐︎すた

おまたせ。もはや多くを語るまでもないけども。
以前からチラホラあった『日常系』というものを一ジャンルとして確立させ、「MOSAIC.WAVみたいな…」という曖昧なジャンルのアニソンを『電波ソング』として確立しただけでも偉業と言うには充分であろう。
照井君!ワイは15年経ってももってけ!セーラーふく聴きまくってるで!

これは瀬戸の花嫁と違って原作勢もいるので怒られそうなんですが正直原作、アニメ後だとつまんなすぎてびっくりした。


今思えばこれも京アニの手腕というやつですね。というのも日常系というのは原作がいくら秀逸でもそのままアニメ化しただけでは良作にはなりづらいものである。動きもないし。苺ましまろですらアニメは凡作だったあたりいかに難しいかが伺える。

ならばどうするか?濃すぎるくらいの味付けをしてやればいいのだ。キャラの一挙一投足を大袈裟なくらいに表現し、最大限のキャラ付けをする。極め付けに一度聞いたら耳から離れないアニソンを添えて、キャラソンなどのアフターフォローも忘れない。ここまでしてようやく人々の記憶に残る作品になる、と私は考える。
(もっともらきすたに関しては主人公が美少女のガワを被った俺ら、という親近感により浸透しやすい土壌があったという前提はある)

そして華を添えるのに欠かせないのが声優。ハルヒの溌剌とした演技のイメージが強かった平野綾によるふにゃふにゃぽにゃぽにゃしたこなたの演技もインパクトとして大きく残った。学年に数人はこなたの喋り方や言動を真似するちょっとイタい女子、いたでしょ?
平野綾ライフライン事件AYA STYLE事件あたりから声優業を離れ、今尚声優と女優どっちをやりたいのかよくわからないが個人的に彼女の声優としての演技が好きなのでもっと聞きたいな〜などと思っている。)


アニメを構成する全ての要素が水準以上で、かつそれらがしっかり噛み合ったときはじめてメガヒット作が生まれるということを世に示した作品。


ぼくらの

アンインストール。アニメ、原作、小説版すべて中途半端に履修した結果記憶がごちゃごちゃしてる…と思ったらどれもそれぞれオリジナル展開や原作にない要素が含まれてるんですね。そりゃ混乱する。

昔、キッズステーションで『なるたる』の最終話だけ見た。いきなり人がゴミのように殺されてびっくりした。そのなるたると同じ作者と知ったときに全てを察した。


こういう作品、意外とないよなぁ。少年少女が命を削りながら戦う作品は多くあれど命は一回の戦闘で使い切り。その子どもたちも自分がバッテリー同然の存在であることに激昂したり死への恐怖に泣き喚くこともあまりせず、どこか達観しているというか肝が据わっている。(若くして生い立ちが波瀾万丈すぎるキャラが多いせいなのもあるが)
エヴァのパクリ』と言われづらいのもこのあたりが所以だろう。


さよなら絶望先生

これもアニメが原作超えしてしまったパターンだと思うんですがどうでしょう。
ここで後の物語シリーズでもおなじみの独特のテンポ、作画などいわゆる『シャフト感』が完全に確立された。
絶望先生を日常系とするか…は意見が分かれると思うが基本的には学校が舞台で一話完結というあたりでは似通った部分があると思う。それを踏まえてらきすたと比較するとこちらに関しては『制作会社の特色でねじ伏せる』という力技をもってして良作に仕上げた例であろう。

とはいえこの手法は全てをその制作会社カラーに塗り替える、料理でいえば『丁寧にダシ取って野菜の産地やブランドにもこだわり最良の煮込み時間で調理したポトフに大量のカレー粉をブチ込む』ような真似なので原作ファンからは大いに反発を食らう可能性のある諸刃の剣である。
シャフト、個人的にあの雰囲気は好きだが『好きな漫画のアニメ化決まったけど制作シャフトで最悪』みたいな意見もよく聞くので本当に好き嫌いの分かれる会社だと思う。


本作に関しては原作がいろんな意味で非常に薄味なので結果濃い目の味付けでちょうどいい塩梅になったというところか。


ちゃんと三期まで見た。空想ルンバが一番好き。


こどものじかん

今なら絶対放送できませんね。たとえ放送コードが許しても一部に生息する声のデカい方々の猛反発お気持ち表明が目に浮かぶ。
エロだけじゃない!社会問題を取り扱ってるんだ!と反駁しても擁護しきれないある種珍しいタイプ。
でもハナマルセンセイションは名曲なので。

ハナマル☆センセイション

ハナマル☆センセイション

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まとめ

シンプルにこの年、不作じゃない???って一覧見てて思ったんですが。


らきすたモノノ怪みなみけスクイズあたりのヒット作以外は全体的にパッとしないラインナップだなぁ。

そもそも前年までのアニメの二期三期がかなりの割合を占めていて完全新作が少ない。そして枠が減った結果オリジナルアニメもどんどん減っていった時期。
加えて冒頭の通りネットに時間を吸われた結果「原作あるならそっち読むわ」となり、アニメに時間を割く意義をすっかり失ってしまった、そんな時期。
次年以降はそれこそゼロ魔絶望先生の二期三期を惰性で見る程度になり、それも終わるか飽きるかすれば他作品に手を出すこともなく、約4年間のアニ豚萌豚生活は一旦終わりを告げた。それでもこの時期は長いオタク人生の中でもかなり充実していたなぁと今でも思う。

 

ちょっと字数少ないのでインターネット老人会当時の思い出話でも。例の如く興味のない方は読まなくていいです。

 

冒頭に列挙した当時のドハマリインターネットコンテンツにニコニコがないのにお気付きいただけただろうか。
ニコニコの一般リリース(β)は07/1/15。
現存する最古の動画(レッツゴー陰陽師)の投稿日が3/6。


おそらくこの年の夏休み頃にはニコ厨が大量発生しさぞ盛り上がっていただろう。それは私の周りでも例外ではなく、友人たちは口を開けば「ニコニコ面白い」「お前も見ろよ」であった。
しかし私は「や、俺はようつべ()で充分なんでw」と流していた。
ニコニコは当初から、なんならごく最近まで会員制サービスだったためメアドを使った会員登録というのは一端の厨房には荷が重かった…というのもあるが、一番の理由は


オタクの必殺技、『逆張り』である。

 

みんなが同じ話してる。ならぜってー見てやるもんか。そういうタイプの人間なのだ。
そう言いつつYouTubeで東方などのニコニココンテンツやニコニコから転載されてきたコメ付動画などを見ていた。本末転倒。酸っぱい葡萄。
結局ニコニコに登録したのはSP1時代(08/3/5〜7/5)。

今でも『旬ジャンル』というやつは嫌いだ。最近で言えば鬼滅も呪術も東リベも一切手を付けていない。ひねくれた天邪鬼には『世間で流行っている』、それだけで跳ね除ける理由は充分なのだ。ガンガンばかり読んでいたのは、(もちろんガンガン作品が好きだからという理由はあるが)ジャンプはみんな読んでるからイヤ、というのもあった。おかげでワンピースもテニプリ銀魂も全然知らない。


他人と同じはイヤ、他人と違う俺カッケー。


これを抱え続けてきた結果、人生のレールも踏み外しまくってきたし、アラサーという後には退けない歳になってしまった以上これからも死ぬまで踏み外し続けるしかない。その先に何があるのか、楽しみでもあり恐ろしくもある。

御託はいいから00年代深夜アニメの話をさせてくれ③〜06年編〜

2006年。中学1年生。
中1というのは多くのオタクの中で転機の年だと思う。
中学入学を機に携帯やPCを買い与えてもらい満を持してインターネットの海に飛び込んだ者も多いだろう。私も本格的にネットに浸かり始めたのは中1からである。
その他にも単純に行動範囲が大きく広がる。子供だけで電車に乗って遊びに行くようになるのもこの時期からが大半だろう。その結果アニメイトなどに出入りするようになりオタクが猛スピードで加速していくのだ。
この時期のことを思い出したくない方々も多くいると思う。でも思い出してもらいます。

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=1593649

 

鍵姫物語 永久アリス輪舞曲


厨二病女はアリスが好きだ。オタク喪女はいい歳になってもアリスモチーフに心踊ってしまう。不治の病だ。
とにかく惜しい作品。というのもコンセプトからストーリーからローゼンと完全にカブってしまったのだ。そしてローゼンが強すぎた。

『アリス』と呼ばれる能力者同士が戦って敗者の『ページ』を奪い、本の完成を目指す…と聞いた時点であ〜ってなってしまうだろう。そしてローゼンと差別化するために微妙なお色気路線に走ってしまったのもまた悪手だったと思う。敗者はページを奪われる際に『知られたくない秘密』を暴かれてしまう、というシステム。これによりトドメを刺すシーンはさながら凌辱エロゲの様相を呈している。…と書いてて思ったのだがエロゲだったらワンチャンあったかもしれない…?介錯氏の絵は可愛い。


涼宮ハルヒの憂鬱


目を逸らすな。ハルヒは06年春アニメだ。15年以上経った今、お前たちは、私は、何か変わったのか?

ハルヒ。アニメで爆発的に人気が出たイメージなんだけどアニメ化以前のラノベ業界内評価ってどうだったんだろう?まあ人気だったからアニメ化したんだけども。

というのも私も放送始まってから知ったクチである。自語りになってしまうが、受験が終わってから部屋の模様替えをした。そして、勉強机の隣にコンポを置いた。元々クラシック好きでCDをよく聴くので、ということで置いてみたが「ラジオ聴きながら勉強するのって中学生っぽい!」という幼心でアンテナもセッティングした。
そしてチャンネルを適当に回していたらある番組と出会った。文化放送の『こむちゃっとカウントダウン』通称こむちゃである。パーソナリティーは不動の櫻井孝宏と当時は小清水亜美。名前の通り毎週の人気アニソン(ゲーソン・声優ソングを含む)をゲストコーナーを挟みながらランキング方式で発表していく番組である。

土曜日の夜はこれを欠かさず聴くのがルーティンだったのだが、ハルヒ放送時期は常にハルヒ(と平野綾)関連曲が永遠にランキングトップを占拠していた。そこで初めてそんなに人気なのか、と思い原作を手に取った。シャナと同じいとうのいぢ挿絵ということもようやく知りふーんと思いつつ読んだ。

…正直、原作の記憶がない。たぶん当時の既刊は大体読んだはずなのだがどうにも思い出せない。アニメの方は約一年後に発足したばかりのニコニコで散々ネタにされたのもあってそれなりに覚えている。そのあたりはやはり京アニパワーというかアニメの出来が優れていたのだろうと思う。

 

Strawberry Panic


今でこそ百合アニメというのは上質なものがたくさん出回っているが、当時は『百合アニメといえばマリみて』であった。マリみては俺ヴォイスでの知識しかないので、私の中での定番百合作品はストパニである。


当初からメディアミックス作品だったためどれから手をつけたか覚えていないがラノベは読んだ。

舞台設定が好きでしたね。ハリポタよろしく生徒の気質で三つの学校に分かれていて、主人公が属するグリフィンドールミアトル、クールビューティーが集まるレイブンクロースピカ、おっとり妹系が集まるハッフルパフル・リム。私はスピカ推しで天音様と光莉ちゃんのペアを応援していました。世間がハリポタパロに走るとき、私はストパニパロに走っていた。


余談ですが当時の女子校のイメージってまだこのタイプでしたね。私も女子校に進学が決まった時若干ドキドキしたけど入学一日でその幻想はぶち殺されたので安心した。2010年あたりにTwitterなどで『女子校はお嬢様の集まりなんかじゃねえぞ!!』と女子校の幻想をぶち壊すの、流行りましたね。うちも大体ああいう感じでした。暖房の上に濡れた靴下を干すな。


ひぐらしのなく頃に


目を逸らすな。ハルヒひぐらしは同期だ。
グロに興味が出始めるお年頃が食い付かない訳がない。これに関してはガンガンっ子であった私に分があった。同じく病をこじらせていた友人たちに「フヒ…ひぐらしって…知ってる…?」と布教して回る妖怪と化した。WING勢だったのでたしか綿流し〜目明かし編をリアタイで読んでいた気がする。とりあえず単行本一冊買って友人(金持ち)に貸したら数日後鬼+綿+祟のフルセットが貸し出された。錬金術か?

アニメ、黒塗りの記憶しかない。お色気アニメの謎の光や湯気にも動じなかった私がほとんど真っ黒じゃねーか!と憤った。最初からOVAでよかったんじゃない?


錬金3級 まじかる?ぽか〜ん


通称まじぽか。原作なしのオリジナルアニメなので特に知名度が低いと思う。
感想は「何この…何?」。人外少女4人による日常系コメディなのだが基本的にスベり気味で面白くなかった。そしてギャグアニメなのにOPは妖精帝國の『鮮血の誓い』。なんで?(一応劇中アニメのOPという設定)
鮮血の誓いは名曲だがこのアニメのOPということは臣民でも知らない人多そう。

アニメはアレだったがここで厨二音楽デッキ2枚目である妖精帝國が手に入ったので収穫はあった。そしてこの数ヶ月後に上記のこむちゃでサンホラを知り、無事アリプロ妖精サンホラの厨二音楽デッキが完成することとなる。
wiki見て知ったけど何気に劇伴上松範康氏なんですねぇ。

 

.hack//Roots


アニメ…は放送始まってしばらく知らなかったがアリプロを信奉していたので新譜出た経緯で知った。
人生で初めて自分のお小遣いで買ったCDが亡國覚醒カタルシスのシングル。入学祝いにおばあちゃんが買ってくれたウォークマン(ライターみたいな形のアレ、というと懐かしがる人もいるだろう。容量は今では驚きの1GB)に入れて毎朝通学中に聴きながら『アリカ様、今日も頑張りますのでどうかお護り下さい』と祈っていた。宗教。

それはさておきこの年の女オタク、みんな櫻井好きじゃん?(偏見)こむちゃ経由で色々アニラジ漁っていたらこの番組のラジオに辿り着いた。たしか日曜放送だった気がする。というわけで土曜はこむちゃ、日曜はRootsのラジオという感じで櫻井ボイスの摂取に勤しんでいた。


アニメ逃したなら原作やるしかねえ!と思ってGUを買おうとしたのだが『めちゃくちゃ難易度が高い』と聞いてヌルいRPGカービィくらいしかやったことなかった雑魚ゲーマーは泣く泣く諦めた。

.hackシリーズ、普通に履修したいんですよね。いつか再放送で見たSIGNのアニメも面白かったし。ゲームの方もPS4でリマスターされてるっぽいので今度やってみようかな。しかしアニメも含めるとどこから手を付けていいのかわからないので有識者の意見お待ちしております。

 

西の善き魔女 Astraea Testament


アニメから入ったけどめ〜っちゃ好きな小説のひとつ。原題は『西の善き魔女』のみ。西の魔女が死んだ』とよく間違えられる
田舎娘がひょんなことから王位継承者であることが発覚して——から始まるシンデレラストーリー…かと思ったらそんなこともなく社交界に入ったと思ったら旅に出たり急に謎の秘密結社が絡んできたりする児童文学寄りのファンタジー小説

女学院編が一番面白い。アニメもここまで。田舎娘が貴族のお嬢様ばかりが集まる修道院兼女学院に放り込まれて生徒会(笑)に目の敵にされハブられかけるも持ち前の気丈さで反抗し生徒会長に決闘を申し込む…というお約束ストーリー。だがそれがいい

文庫版は挿絵がなく登場人物のビジュアルが想像つきにくいので補完する形でアニメや漫画版を見ると一気に華やかになります。漫画はザ・少女漫画な絵柄。

 

ゼロの使い魔


おまたせ。シャナの項でも触れたけど一番読んだラノベ。王道異世界ファンタジーとしてはやっぱり原点にして頂点だよなぁ。
とはいえ結局シャナと同じく原作完走してないんですけど…。確かタバサ奪還編+タバサの冒険2巻あたりまでかな読んだの…。

推しはタバサ…のはずなんですがヒロイン戦争参戦してからちょっと嫌いになりました。とはいえゼロ魔はルイズと才人のカップル化揺るがぬ絆ができるのが早く、その後にヒロイン戦争参戦してきた者たちもアタックはすれど基本的に一歩引いた立場=ルイズには敵わないとわかっているので安心して見れた。初期のシエスタは嫌いでしたが身を引いて(ただし色仕掛けはやめない)からは好きになれたし。
というか初期からタバサとキュルケのコンビ(CPではない)が好きだった。キュルケも好き。典型的ないじめっ子キャラかと思わせて一貫していい子なのよね。そして恋多きビッチ乙女キャラなのに最終的にチートハゲこんなこともあろうかとおじさんコルベール先生に本気で恋するオチも良い。
かっこいいよね、コルベール先生。うだつの上がらないおじさんが裏方でサポート無双する展開はオタクみんな好き。そんな冴えないおじさんが昔は汚れ仕事のエキスパートだったっていう設定もみんな好き、ね?
…あれ?私の推し、もしかしてコルベール先生…………?

なぜかOP『First kiss』のICHIKO氏サイン入りCDがうちにある。

 

N・H・Kにようこそ!


『踊る赤ちゃん人間』、人生テーマソングにしてるんですけど22年現在使われている『赤ちゃんになる/なりたい(オギャる)』という概念をこの年に曲として発表しているオーケンはやっぱ天才

 

BLACK BLOOD BROTHERS


櫻井に釣られて。原作も最初だけ。
ほんとに最初だけだったな〜〜〜面白かったの…。
厨二向けにしたって設定ガチャガチャしすぎですね。今思い出すためにwiki見たら頭痛くなった。
似たようなタイトルなら同期のブラクラ見ろってな!ワハハ!そのうち履修したいと思いますブラクラ

 

乙女はお姉さまに恋してる


通称おとボク。原題は『処女はお姉さまに恋してる』。
ギャルゲはともかくエロゲ原作の全年齢アニメという概念がなかった、そんな頃の話。普通に学園ハーレムモノとして楽しく見てました。キャラデザ好みだったし。ノートに貴子さんの絵描いてた。
とはいえオリジナルアニメだとは思っておらず、「『原作:キャラメルBOX』…?聞いたことないな…」という違和感は抱えていた。うっかり検索しなくて本当によかった。

この頃はギャルゲ・エロゲ・ボブゲの地上波アニメ化やPS2などへの全年齢版移植がやたら流行っていた時期である。元々全年齢のギャルゲはともかく後者二つに関しては当時でも『エロが売りの作品からエロ抜いたら抜けなくなるやろがい』という感想だった。でもまあリア厨視点だとあと数年は買えない作品が今すぐ遊べる、という利点はあったが普通にあと数年我慢して存分に堪能した方がいいよな、という結論に至った。あの手の全年齢版って結局需要あったのか?

 

ローゼンメイデン オーベルテューレ


このあたりでようやくローゼンを履修し始めた。とはいえ旧版かつ何やら桃種と編集が揉めてるらしい、という時期。『編集がわざと原稿にコーヒーをこぼした』なんて噂が飛び交ったりしていた。結局打ち切りのような形でバーズでの連載は終了。最終巻の異様な薄さ、よく覚えてる。
そんな時期なのでアニメはアニオリ展開にせざるを得なかった。薔薇水晶is誰。どこまでが原作設定でどこからがアニオリ設定なのかひたすら混乱していた。銀様の腹部が空洞なのってアニメ設定?

オーベルテューレは2夜連続で放送された特別編。実は私はアリプロのローゼン曲では禁じられた遊びより聖少女領域よりこのOPの薔薇獄乙女が一番好き。
新版が始まる頃にはもう興味がなくなってしまったのでこちらは未履修。


まとめ


革命の06年×厨二病のコンボを浴びた同世代の皆様、お元気でしょうか。あの日々のこと、笑って話せますか?それとも…

私は割と内向的な患者だったので思い出したくもない黒歴史というのは幸いにもない。まあ年相応に「殺すよ?(暗黒微笑)」的な言動をしたりはしたが当時の友人は化粧も知らないすっぴんにペラロリを着て商店街を練り歩くなどの中々パンチのある黒歴史を量産していたのでアレに比べれば…という感じである。(大人になってからは当人にこのことを掘り返すとマジギレするので完全タブーとなった)

しかし、黒歴史がないということは卒業という名の治癒もないということである。20年も経てばもう不治の病として沈着してしまうのだ。アリプロも十字架も謎の鎖や安全ピンも当時好きだった漫画やアニメもすべて今でも大好きだ。これからも『†生涯厨二病†』をスローガンに生きていきたい。

御託はいいから00年代深夜アニメの話をさせてくれ②〜05年編〜

2005年。当時小学6年生。私は干からびていた。
中流家庭の宿命、中学受験である。
難関校を目指していたわけではないが既に理数ドロップアウト文系人間と化していた私は国語と算数で偏差値が30くらい違うという有様でありヒイヒイ言いながら大して難しくもない算数の問題に苦心していた。
そんな春のある日。学校から帰ったら巨大な段ボール箱が3箱ほど積まれていた。

『受験終わるまでマンガとゲームは封印ね』

母から発せられた無慈悲な宣告に、私はその場に崩れ落ちた。
しかし泣けど喚けどどうにかなる訳でもない。たまたま変な所にしまっていたり家具の隙間に落ちていたりして母の手を逃れた数冊のマンガをなんとかかき集め、約一年の娯楽断ち生活が始まった。

とはいえ。
PSXに関してはPS2のコントローラーやソフトこそ封印されてしまったものの本体は家族共用のレコーダー&DVDプレーヤーとして絶賛稼働中だったためそのまま野放しになっていた。
つまりアニメは見れるということだ。この事実は私の心のオアシスとして一年間を耐え忍ぶ大きな支えになった。ありがとうPSX。ありがとう深夜アニメ。

そんなわけで前置き長くなりましたが05年編です。本数少なめですが文字は多めです。
今回もこちらの順に。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=1593649

 


まほらば〜Heartful days

私は生粋のガンガンっ子である。初めて全巻集めたマンガは魔法陣グルグルハレグゥだ。ガンガンの姉妹誌、当時はめっちゃたくさんあった。Gファンタジー、JOKER、そしてWING。いぬぼくでおなじみの藤原ここあ氏の初連載作『dear』もWINGだ。それと同時期に連載されていたのがこのまほらば。WING、結構良作たくさんあった気がするんだけどなぁ。

まほろば』とよく間違えられるのはもはやお約束。
絵本作家の夢を目指し上京してきたフニャチン主人公が出会ったのは多重人格のJK大家さんこと梢ちゃんとクセの強い住人たちだった——という萌え版めぞん一刻

例によって連載中でのアニメ化だったのでラストはアニオリにせざるを得なかったのだがその後の原作の展開からのラストを見てもよくまとまってたと思う。

 

上記のあらすじだけだと普通のラブコメにしか見えないのだが、『多重人格』という設定をただのキャラ付けではなくしっかりと『解離性同一性障害という病気』として扱っており、発症から治癒に至る過程も実在のそれを踏襲している。
ましてや今はめんどくせ〜世の中だし当時であってもフィクションとはいえ実在の病気をモチーフにするのは色々とリスキーなのでいわゆる『多重人格キャラ』というのはもう一人の僕的なスタンドのような存在として『あくまでファンタジー』として描写されるのがほとんどだったが、周囲の人々が『病気』として認識し(当人は無自覚)、正面から向き合っていくという中々踏み込んだ作品といえる。(もっとも通院している描写がないので『まず病院連れてけよ』というツッコミはあるが)

住人たちも一枚岩ではなく、皆明るく楽しく振る舞っているが各々が重すぎる程の過去を抱えている。虐待。自傷。天才ゆえの苦悩。駆け落ちの行く末。そして主人公に廻る因果。
涙なしには読めないシーンも多々。登場人物一人ひとりの背景描写がしっかりしているからこそ愛着が湧き、結果ヒューマンドラマとしてかなり秀逸な作品となっている。

 

原作の話ばかりになってしまった。
アニメの方はやっぱり病気関連の描写が放送倫理に引っかかるため『Heartful days』の副題通り軽めのハートフルラブコメの仕上がりになっている(原題は『まほらば』のみ)。2クール。
人格交代に関する詳細描写がないので梢がただの不思議ちゃんみたいになっているのはややマイナスだが、一部の人物に関してはしっかり原作通りに描かれているので安心してほしい(?)。「重すぎるのはちょっと…」という方はアニメの方がオススメかもしれない。

 

余談だが、作者は定期的に死亡説が流れるほどの虚弱体質でファンによく心配されている。まほらば完結前後あたりに医師に「このままだとあと5年以内に死にます」と宣告されたらしく以降はスローペースで活動している。たまに新作などの告知があると「新作だやったー!」という嬉しさより「元気そうでよかった…」という安堵が勝る。これからもお身体に気を付けて末長く活動していただきたい。

 

LOVELESS


多重人格主人公その2。
1話逃して3話あたりで初めて見たのだが『猫耳の生えた男の子』というビジュアルに衝撃を受けた記憶がある。

ちょうどこの年『電車男』のドラマが放映され、パンピにも『オタク』『萌え』『アキバ系』という概念が広く周知されることとなった。当時のオタク界隈の様子は計り知れないが、ドラマ経由でオタク文化に興味を持ち足を滑らせてしまった諸兄やアキバや2ch等の我々の隠れ家を土足で踏み荒らされて憤慨した諸兄など色々いたことだろう。
ネコミミ女子というのは当時、世間一般が想像する『萌え』のステレオタイプだった。そうでなくともオタクにとってはでじこの時代から猫耳=女子だった。
そんな先入観を覆され驚いたものだが、肝心のストーリーに関してはよく理解できなかったのでアニメはそこで切ってしまった。

 

というわけで原作の話をさせてください。
後年になりブックオフで原作を見かけて「あ〜昔アニメあったな〜」と思ってパラっと見たら絵が綺麗だったので買った。

2年前のとある事件をきっかけに人格交代を起こしたまま戻らなくなってしまった11歳の少年。こちらはちゃんと通院している。最愛の兄を亡くし、別人のようになってしまった息子を受け入れられない母からは虐待を受け、いつか消えてしまうという思いを抱えながら過ごす空虚な日々。そんな中現れた亡き兄の知人を名乗る謎の男——というボーイミーツボーイ(&ガール)。

1巻時点でのストーリーはリア厨でも恥ずかしくなるほどの厨二要素てんこもりマンガなのでここで失笑して切った人も多いかもしれない。今でも人に勧めるときは『1巻は我慢してくれ』とプレゼンしている。
だがそんな厨二異能力バトルの中にも光るものがあったから続きを読む決意をした。当時こそ表す言葉がなかったが今なら表せる、『エモ』である。

読み始めの所感は『なんか男同士の距離が近いな…』であった。ボーイズラブという概念はなんとなく聞いたことがあるが当時はまだ純真だった上に『恋愛』といえるほどイチャイチャしている訳でもない。そんな中急に現れたのは、『大学生の男が11歳の少年にピアスを開けさせる』というシーンだった。なんかすごいドキドキした。今日なら「エッモ………あとすけべすぎますねぇ…」みたいなクソ感想しか出てこないと思うのであの日の胸の高鳴りの感覚、忘れないようにしたい。

私は女子ゼロが一番好きです。絶対服従だった自分たちの創造主に初めて反抗し、映画のワンシーンのような逃避行に出る二人のJK、えもいえぬえも(©︎バーバパパ)。

そこからしばらく出番がなく、再登場したときには二人は元の生活に戻っていた。そして片割れが逃亡生活をやめた理由を『(愛する人に)ラブホの安っぽい歯ブラシを使わせてるのがなんか嫌になった』と語ったとき、ウッワこの作者天才だと思った。

色々な『愛の形』が見られるんですよね。恋愛未満の仄かな愛、がっつり肉体関係を伴う愛。愛とは名ばかりの主従関係、反対の対等な関係。異性同性愛。兄弟姉妹愛。偏愛。盲愛。
作中通すと男男の方が目立つが女女も上質すぎる。渚先生と妹のエピソードも最悪すぎて最高。

 

ただ、作者をご存知の方はもうおわかりだろう。
2001年月刊連載開始、既刊13巻。
この数字を見れば知らない方もお察しいただけると思う。ちなみに最新()刊13巻発売が2017年で、13巻収録分以降本誌に掲載された様子は2022年現在ない。

とある人曰く、この手の傾向は同人上がりのプロ漫画家に多いという。元々同人作家なので『自分の好きなもの、良いと思ったシーンしか描きたくない』という意識が強く、そこを描ききってしまうと途端に停滞したり絵が雑になったりする。これは『好きなことを仕事にする』ことへの今尚根深い問題だが、プロの世界でそんな我儘は許されない。しかしなまじ有名壁サーなので一次でも同人出せばがっつり儲かるし、特に90年代の超同人バブル時代の作家は既に一財を築き上げた者も多く働かなくても、最悪打ち切られても困らない、という状態にあったりする。そして編集側も描いてくれなくても一応『大先生』なので囲っておきたいというジレンマを抱えている、という仕組み。

もっともこれは一例であり、本当に心身を壊してしまった人などもいるので一概には言えないということを記しておく。だがこの手のタイプの作家が描く作品は本当に特定シーン(筆が乗ってるときのシーン)の爆発力というのが桁違いで、ゆえに鮮烈な記憶として残りやすいのが魅力だと考える。


この作者に関しては『完結させられない病』と揶揄されるくらいなので本作ももう完結は無理だろう…というのがファンの本心である。それでも……続き、読みたい………!H×Hも連載再開したんだから少しずつでいいから描いてほしい……な……。


おくさまは女子高生/奥様は魔法少女


04年に放送されたドラマ『奥さまは魔女(日本版)』に乗っかったタイトルたち。米倉涼子が可愛かったのと泰造が役者として結構やれてたのと夏木マリの魔女がハマり過ぎてて笑った記憶がある。
ドラマ見てたので引っ張られて見てみたけど前者は普通のお色気ラブコメ、後者に関しては全く記憶がない。


苺ましまろ


個人的伝説のギャグ漫画。リアタイ未視聴。
ギャグ漫画フリーク(とロリコン)の中では名の知れた作品だと思っている。松岡美羽は笑いの師。
緻密な作画(特に服がかわいい)と日常系ののんびりした空気から放たれるキレッキレのギャグ。


そしてこの作品を語るのに欠かせないのが、LOVELESSを超える遅筆っぷりである。
2001年月刊連載開始、既刊8巻。
奇しくも最新()巻である8巻はLOVELESSと同じ2017年。もうこうなったらどっちが先に新刊が出るかでギャンブルできるね。たぶん無効試合で終わる。

中学時代の友人に勧められて借りて読んで爆笑して自分でも全巻揃えた。アニメはその後TSUTAYAで借りて見た。アニメは伸恵姉ちゃんが未成年飲酒喫煙無免許運転その他問題行動のオンパレードなので年齢が高1→20歳に修正されている。それ以外は概ね原作通りだったとは思うのだが、いかんせん『パワーが足りんな』という感想に落ち着いた。あのキレと疾走感はアニメでは再現しきれなかった模様。


灼眼のシャナ


これ05年放送だったっけ。自分で録画したのではなく帰省したときにアニマックスで22時くらいにやってたのをたまたま見ただけな気がする。のでアニメは飛び飛びでしか見てないと思う。
中学に入ってから初めて触れたラノベで、厨二病最盛期だったのもあってゼロ魔と一緒にどっぷりハマった。

小難しい漢字多めのワードにハチャメチャなルビつけて読ませるやつ、なんだかんだオタクはみんな好きなんだ。こうして今も擦り続けるくらいなんだから。


とにかくシャナと悠二が結ばれてほしかったので吉田が大ッッッ嫌いでした。吉田派の人はごめん。同様の理由でゼロ魔シエスタとアンリエッタも嫌いだった。シエスタは割と早めに身を引いたけどアンリエッタはいかにも強かな女でイヤだったな〜。それまであんまり特定キャラを嫌いになることってなかったんだけど人生で初めて『特定キャラを嫌いと認識した』作品がこの二つ。アンチという概念の目覚めである。


ゼロ魔は割と早めにヒロイン戦争決着したのに対しこちらはズルズル延びるばかりで、何巻だったか失念したが『クリスマスの日、駅の北口と南口(西と東だったかも)にそれぞれシャナと吉田が立ち、悠二が選んだ方と結ばれる』という展開になったとき「やっと決着が…!」と湧いたが結局悠二は辿り着く前に失踪、まさかのラスボスとして覚醒という超展開にズコーとなると同時にもうここで切る決心をした。
後年に調べたところ無事シャナと悠二が添い遂げる形で完結したと聞いて安心した。


BLACK CAT


ある種伝説のアニメ。
ちょうど友人が原作にハマっており、受験が終わった後貸してもらって一気に読んだ。2クールでちょうど読み終わったときにはまだ放送中で、既に完結してたしあと数話しかないけど今から見ても間に合うっしょ!と録画した。見た。そこにあったのは『私の知ってるBLACK CATと違う』だった。
最初からアニオリならそうと言ってくれ。そう叫ぶしかできなかった。そして毎週録画設定をそっと解除した。


今でこそお色気の神として崇められる矢吹神であるが私の中ではずっとBLACK CATのイメージである。『レールガン(笑)』とか揶揄されることもあったけど厨二病患者には充分すぎるほどぶっ刺さった。ナンバーズに入るのが夢でした。ⅩⅢ機関はナンバーズのパクリ。
そんな神は今でもBLACK CATのことを大事にしてくれており、時々トレイン達の新規絵を上げたりしてくれるのはファンとしては嬉しい限りである。

 

ノエイン もう一人の君へ


未視聴なんですがこれに関するエピソードという名の自語りいっすか。興味ない方は飛ばしてください。


私のクラスは荒れていた。4年間で悪名を築き上げてきた名だたる悪ガキどもが5年生のクラス替えで一ヶ所に集められたところにあてがわれたのはベテランだけど気の弱いおばちゃん先生だった。采配ミスにも程がある。当然ナメ臭られ勃発する学級崩壊。授業中は悪ガキどもは席を立ちグループで固まって雑談やトランプをして好き勝手過ごし、我々受験組は塾の宿題を持ち込みせっせと内職していた。


先生には申し訳ないとしか言いようがないが、先生という共通のターゲットを得たことにより同級生同士の仲は比較的良好であり、ひとりの児童から見れば平和な環境であった。悪ガキ、ギャル、真面目ちゃん、変人、そしてオタク。派閥同士で衝突することもなくそれぞれが勝手に仲間内で仲良くやっていた。本来ならカーストぶっちぎり最下位の我々オタクグループも特に揶揄われたりすることなく教室の隅でデュフデュフ言いながら絵を描いたりなどして平穏に過ごしていた。


話は変わるがこの時期、多くの少年(と一部の少女)はコロコロという古巣から羽ばたき、ジャンプへと渡っていく。

私は前述の通りコロコロとガンガンの二重国籍であり、少し前にコロコロという家を引き払う形でガンガンへの永住を決めた。(今でもコロコロ作品は大好きです。こないだドラベース読み返して泣いた)

兄がいる子は比較的早めに巣立つ傾向があり、BLACK CAT貸してくれた子をはじめつるんでいたオタク仲間も既にジャンプへのランディングを終えていた。
そんな感じで周りにマンガ好きは一気に増えたが、深夜アニメの話はまだまだ通じなかった。厨二病が栄華を迎えていた私は

『俺みたいな小6で深夜アニメ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは(好きな音楽:アリプロ)』

横流しされるマンガを適当に捌きながら過ごしていた。

そんなある日のことである。いつものように誰も先生の話なんて聞いちゃいない終礼で、『今日ノエインの日だ!!!!!』と叫ぶ声がした。びっくりした。声の方を見たら悪ガキグループの一人だった。彼の家庭は放任気味で、好き勝手夜更かししても誰にも咎められず深夜まで起きていてノエインを見ていたのだと思う。一瞬同士か!?とソワッとした。でもそれ以外に彼がマンガやアニメの話をしているのを聞いたことがないし何より悪ガキは陰キャにとっては恐ろしかったのでそっと着席した。
というだけの話。


まとめ


当時は多忙であまり見れなかったが深夜もそれ以外も中々豊作の年。アクエリオンバジリスク地獄少女金卵、マイメロディ
このあたりから一気に盛り上がってきた感がある。
余談だが受験が無事終わり、娯楽が解禁された日は6時間ぶっ通しでGCどうぶつの森+をやった。何でだよ。もっとなんかあるだろう。