喪女と見る鬱映画〜無垢の祈り〜

 

『みんな、殺されちゃえばいいのに』

 

このブログタイトルを見てお気付きの方もいるだろうが、平山夢明作品が好きだ。長編より短編派。
今回は短編集『独白するユニバーサル横メルカトル』に収録されている『無垢の祈り』の映画版についてです。

 

綺麗なタイトルだろ?鬱作品なんだぜ、これ

 

時は2016年。ちょうど大学時代に平山作品に触れ、いくつか読み終えたところでタイムリーに『無垢の祈り』の映画化を知った。

原作既読の方は皆思ったことだろう。
「あれを!?………………でもまぁ『仔猫と天然ガス』とかに比べれば…」
と。

実際制作を始めるもスポンサーが全く見つからず、結局亀井亨監督による『完全自主制作映画』という形でのリリースとなった。
上映館も非常に少なく、映画祭系イベントを除けば今は亡き渋谷アップリンクと宮崎の映画館のみだった。
当然ソフト化も絶望的ということで観に行くしかない、と前者へと足を運んだ。

 

アップリンク。今や映画好きの間ではパワハラの代名詞となってしまった。(当時は問題が明るみになる前だった)吉祥寺の方もたまに気になるタイトルが上映されるが利用したくないなぁ、と足が遠のく。
ちなみに当作品は現在アップリンクの配信サイトのみで視聴が可能。もう一度観たいけど…ぐぬぬ…という感じである。

 

話が逸れたが結局この映画、なにがそれほどの問題なのか。

児童虐待である。

10歳の、少女への、物理的精神的、そして性的な、虐待。

ここで吐き気を催した方はブラウザ閉じてください。
そんなテーマを扱った小説の映像化。お察し下さい。


以下原作・映画両方のネタバレありますのでご注意を。

 

 

あらすじ

家でも学校でも理不尽に虐げられ続けている10歳の少女、フミ。義父からは日常的に暴行を受け、母は新興宗教にドハマリ。救いのない日々の中、フミの住む街に連続殺人犯が現れる。遺体を解体し骨という骨を持ち去る特徴的な犯行から『骨なしチキン』と呼ばれるその殺人鬼に、フミは惹かれていく。犯行現場を参拝するように巡り、メッセージを書き残していくフミ。そして…

トレーラー。これを含め全部で3つあります。
見ての通りロケ地はオタクみんな大好き日本のミッドガルこと川崎工業地帯。


元も子もない話をしてしまうと、この3つのトレーラーで出ているカットが劇中シーンのほぼ全てです。
これにここでは見せられないR18のエログロシーンが加わって約80分の映画になっています。
ので、エログロは無理!アップリンクに絶対金落としたくねえ!でも気になる!という方はトレーラーだけで雰囲気は充分味わえるのであとは原作をお読みいただければOKです。…と言いたいところなんですが原作と映画でかなり毛色が違う(後述)のでできれば両方見てほしい…。

 

フミという少女

上述の通りの可哀想な女の子。だがメソメソしたり悲劇のヒロイン面はせず、学校では殴られればやり返すし、靴を隠されればいじめっ子の靴を履いて帰るなど中々の強メンタル。それでも路地裏で絡まれたり家で待っている『大人』による暴力には為す術がないところが儚い。

工業道路のド真ん中をチャリで駆け抜け殺害現場を巡り、『アイタイデス』『アイタイ』『アイタイアイタイアイタイ』とチョークで書き付け、この場で殺された被害者になるかのように寝転がる。涙が出るほど悲しいのにどこか美しい。


ここも原作との相違ポイントだが原作では顔や頭を変形するほど殴られ、生傷や痣も絶えない結果『オバケ』と呼ばれているフミ。映画では普通の美少女である。

演じているのは福田美姫ちゃんさん。撮影当時フミとほぼ同じ歳の9歳(!)だったのだが、手脚がすらりと長く大人びて見える。ボサボサの髪に薄汚い格好をしていても美人。

そして何よりその演技力。台詞が少ないため表情による演技がメインという難しい役どころだが、その気迫が凄まじい。フミの設定や記憶をそのまま流し込んだかのような、この世の全てを憎み、怨み、しかしどこか諦めたような瞳。乱れた髪の隙間から見えるだけでもひしひしと伝わる感情。殺人鬼に宛ててメッセージを書いているときにだけ見せる少しだけ穏やかな表情。全てが完璧だ。

そんな既に女優の風格漂う彼女だが、こんな作品に出てしまって大丈夫なのかとちょっと不安になった。これも後述。

 

フミの周辺人物

義父

諸悪の根源。毎日パチンコか家でグータラするだけの典型的なダメ親父…どころか既に児童淫行でしょっぴかれている前科持ち。そんな奴が10歳の幼女と同居したらどうなるか、もう察せられるだろう。
気に入らないことがあればフミや妻を殴る蹴る、妻の目を盗んでフミにいたずらをする。愛人を堂々と家に連れ込み、挙句妊娠させる。どこまでもクズ。

演じるのはBBゴロー氏。名前を聞いたときはピンと来なかったが稲川淳二のモノマネの人と聞いてなんとなくあ〜…?となった。芸能人に疎くて申し訳ない。

氏の演技もまた凄い。DV野郎の荒々しい様子はもちろん、フミにいたずらをするときのニタニタした表情やラストのぶっ壊れたキ●ガイの演技も妙なリアリティがある。完全に狂った様子はともかく、それ以外は『いるんだろうなぁ…こういう奴が…』と、平和な世界で生きてきた人間でも思わせられる。

 

辛い現実から逃れる先を怪しい新興宗教に求めてしまった哀れな女。フミには基本的に優しいが、フミが、自分がどれほど理不尽な暴力を受けても「これはカルマのせいだ、前世の罪を清算できていない自分たちへの報いだ」といったことを口走り、警察に行くなど根本的な解決を試みようとはしない。

原作では彼女がハマる宗教の描写がそれなりにあるが、やはり新興とはいえ宗教絡みは映像作品においてタブーなのか、映画ではかなり削られている。そのため若干空気だが、終盤義父とフミの関係を知り逆上して包丁片手にフミに襲い掛かるシーンの迫力は必見。

 

トモコ

フミの唯一の友人。高校生くらいの車椅子の少女。
フミに殺人鬼の情報を渡すだけの役割で冒頭一瞬登場するだけなのだが、フミに唯一心を許せる存在がいる、というだけでも視聴者のメンタルダメージが少し軽くなる貴重な存在。

 

骨なしチキン

巷を騒がす連続殺人鬼のおじさん。登場人物と絡むのはラストだけなので基本的には彼のプロフェッショナルな仕事ぶりがたまに挟まる程度。

 

ロリコン耳ホクロオヤジ

冒頭、帰宅するフミに路地裏で絡んでくるキモいおっさん。室外機?の上にフミを座らせその身体をベタベタ触り、挙句謎の液体をかける変態。完全にアウトな行動もさることながら、「駄目だよ、そんな歳から男を誘ってちゃあ(※当然フミは何もしていない)」という台詞がキモさの極み。末路が残当

 

囚人服の女

中盤フミが見かける謎の女。考察ポイント。後述。

 

刑事

平山夢明ご本人、しれっと登場。彼とフミの会話シーンは冒頭のセリフが出るシーンなのでフミに目が行きがちだが違和感のない自然な演技をされている。

 

グロ描写について

R18+映画を観ようと思う時点である程度の耐性はお持ちだとは思うのだが、ゴア描写の程度ってやっぱり気になるよね。

結論から言うとゴア描写に関してはかなりヌルめ。首が飛んで血飛沫が舞ったりとかイタタタタってなるような感じではない。殺人鬼の仕事シーンが粛々と流れるだけ。画面は全体的に薄暗いし、執拗に見せつけてくる感じでもない。ひたすらカリカリコリコリやってるなーくらい。凡百のホラー・スプラッタが平気な方なら余裕。でも血も骨もモツもしっかり映るは映るので注意。

 

性描写について

R18+だからグロ映画かと思ったらえらい目にあったでござるの巻。

散々言ってきたがこの映画のメイン…と言うと語弊があるがR18+である所以は幼い少女への性的虐待描写のせいである。
だがもちろん生身の幼女にあんなことやこんなことはできない。しようもんなら関係者全員お縄である。


じゃあどうするか。


トレーラーでもチラッと出てきた何とも不気味な人形。
アレで代用するのだ。

 

形だけはフミに似せているが気持ち悪い、おぞましいとしか言えない造形の人形の身体を、義父が貪る。

機械的で固そうな四肢を余す所なく触り倒し、スカートを捲り上げ股の間に顔を突っ込む。人形は背後で女性が操っており、リアクションをするようにこれまた不気味に動く。異様な光景すぎて脳がバグる。

その様子をフミ自身は傍らにぼんやりと突っ立って見ている。アニメなどでもよくある手法の、『乖離した霊体や意識だけとなった自分が自分自身の肉体を見下ろしている』というやつである。

人間は辛すぎる事象に晒され続けると防衛機制として『あれは自分じゃない、別の誰かが受けているんだ』と思い込むようにできているらしい。(その結果解離性同一性障害にみられる『別人格』が生まれたりするそう)この描写はそんなフミの心理状態の表れといえよう。

 

また、このシーンを盛り上げる(?)のが、文字通りインダストリアルな機械音を中心とした音楽…というか効果音に近い。トレーラーでもちょっと流れますね。
余りにも生々しい描写に対する、無機質すぎるほどの音。対比がすごい。
この『ガンッ!!………ギィ〜…………ガンッ!!!』みたいなやつ、他にも至るところで流れるのだが結構な音量なので(観に行った日そこそこ体調悪かったのもあって)ちょっと頭痛くなってくる。普段ブレイクコアとかそれこそインダストリアル系EDM大好きなんですけどね。

 

というわけでアレな描写は人形におまかせでフミ(の中の人)は無事なので安心して見れ……ればR18+ではないのだ。

福田女史自身もかなり身体を張っていらっしゃる。

のっけからホクロオヤジに太腿をスリスリスリスリ触られているし、ラストに関しては完全にアウトとしか言いようがない。

制作サイド曰く、この手の描写は彼女には限界まで婉曲的に、意味がわからないように伝えた上で演ってもらったという。まぁ9〜10歳というと特にマセたガキンチョが『子供ってどうやって作るか知ってる〜?(ニヤニヤ』ってやってくるくらいでまだまだ性に関しては無知な子の方が多いであろう歳なので当たり前といえば当たり前なのだが…

 

無理ないか〜〜〜〜?????

 

いくら意味がわからなくても知らんおっさんに身体ベタベタ触られるのなんて生理的に気持ち悪いだろうし。

それにいくら当時はわからなかったとしても数年もすればあの描写の、自分が演じてきた役の意味を否が応でも理解してしまう時が来る。その時の彼女の精神状態を心底心配してしまった。未成年ましてや一桁の子役の最終的な意思決定権は保護者にあるだろうしなんであんな役やらせたんだこのクソ親ァ!!!ってブチ切れてもおかしくない。(※別に彼女の保護者を毒親と叩いている訳ではない)

あまりに心配になってしまったのでたまに彼女のWikipediaや事務所HPを見に行くようになった。少なくとも映画から2年後の2018年までは活動記録がある…が、それ以降は途絶えている。事務所HPが残っているということはまだ所属しているということなので休止中…なのだろうか。

2022年現在、17歳の彼女。仮に女優や芸能活動を辞めてしまったとしても、その理由は他にやりたいことが見つかったとかポジティブなものであることを願ってやまない。

叶うなら、いつかまた演じる姿を見てみたい。福田美姫さん、貴女は素晴らしい役者です。

 

ラストシーンと『無垢の祈り』


※ここからネタバレ色強くなっていきます

 


既読の方はご存知だと思いますが原作は結構ハッピーエンドな雰囲気で締められています。


邪魔な存在となったフミを弄んでから捨てる為にゴルフクラブ片手に発狂したような様子で追い回す義父。

10歳の女児に自分のブツをねじ込むには狭すぎると判断し、あろうことかカッターをフミの局部に押し当て切り裂こうとした刹那、遂に現れた殺人鬼によって頭をカチ割られて死亡。殺人鬼は『私を呼んだのは君かね?』とフミに語りかけ、大きな優しい手で彼女を抱き上げたところで物語は終わる。

著者の真意はともかくとして大抵の人はこのオチを受けて『こうして助けられたフミは殺人鬼のおじさんと末長く幸せに暮らしました。めでたしめでたし』とエピローグを付けるだろう。

 

この展開を180度ひっくり返してくれたのが映画版である。

 

まず色々間に合っていない。捕らえられたフミはパンツを剥がれ脚を開かされ実際にちょっと切られている。(そしてこのシーンは人形ではない。だからアウトだっつってんだろ)
ついでに片眼を潰されている。(原作では義父の眼を潰そうとするも『お前も同じにしてやる』と脅され怯んでやめている)痛い。
そこでやっと来てくれた殺人鬼。おせーよ!ヒーローは遅れてやって来ちゃいけない時もあるんだよ!!

 

そして。

 

(核心的ネタバレ)

 

 

 

 

『殺してくださいーーー!!!殺してくださーーーい!!!!!うああああ!!!!!!!!』

 

響き渡る少女の慟哭。

 

これまで喋ってもボソボソと呟くだけだったフミの最初で最期の、血を吐くような叫び。それはさながら産声だ。

その間殺人鬼とはいうと、蹲り嗚咽を漏らしながら叫ぶフミを黙って見下ろしているだけ。そしてそのままエンドロールへ。

救いがなさすぎて呆然としてしまった。
筋金入りのヘビーバッドエンダーでも予測されていた展開をひっくり返して急にお出しされる絶望にはびっくりしてしまうものだ。

 

このオチ改変は決して監督が勝手に暴走した訳ではなく、監督なりの『無垢の祈り』の解釈であろうと私は考える。


そもそも『祈り』とはなんだったのか。


原作であればコピーにもなっている『みんな、殺されちゃえばいいのに』であろう。自分を取り巻く環境の全てを、殺人鬼にブチ壊してほしい。実にシンプルだ。

まあ現実的に考えればそれは無理な話である。親父はとりあえず殺せたが、仮に殺人鬼がノリノリでヨッシャこのままおっちゃんがオカンも学校の奴らも全員殺したる!!骨集めとる場合じゃねえ!!ってなったとしても達成は不可能に近い。精々あと3キルくらいで捕まるだろう。
そんな子供じみた祈りであるが故の『無垢の祈り』だろう。

 

映画版は途中まで同じでも最終的なフミの願いは『死にたい』になった。更にシンプルだ。

死にたいと願う人間にかける最適な言葉というものは極論『ない』と個人的に思っている。「生きてればそのうちいいことあるよ」なんて幸福な人間のエゴの塊だ。糞喰らえだ。


この上ないレベルの地獄に生きる無力な少女の『殺してください』。誰にも為す術がない願いだと思いませんか。
こちらは無謀さではなくシンプルさを突き詰めた結果の『無垢の祈り』である。

 

考察〜その後と時間軸について〜

原作は短編だし割と単純な話だが映画版は所々に考察ポイントが置かれている。オタク大歓喜

 

よってここからは個人の考察になります。ネタバレだけ読みたかった方はお疲れ様でした。


まずラストシーン後。こんなオチなので映画版はどうあがいてもこっからフミが幸せになる展開が想像つかない。原作もあの後サックリ殺されててもおかしくないけども。殺人鬼の人格描写がないのでなんとも言えないがあれだけこだわりのある仕事人気質のサイコキラーなら片眼潰れたガキを連れて行くメリットはまずない。
望みを叶える形でその場でサックリが映画版軸のフミにとっては一番のハッピーエンドだ。


どっこいこの望み、どうも叶っていない気がする。


一番最初のシーンに立ち返ってみよう。殺人鬼とすれ違うフミ、片眼に眼帯をしている。
しかし本編ではしていないのでこのシーンはエンディング後ともとれる。


加えて中盤でフミが出会う謎の女。囚人服のようなものを纏い、傍らには首吊り縄。同じように眼帯をしている。傍らのラジオからはなぜか2030年代、つまり未来のニュースが流れている。

これらが示唆するのは謎の女=大人になったフミ自身というのが濃厚だろう。殺人鬼に同行してその犯行の片棒を担いだのか、それともその後も業苦の世界で一人生き延び何らかの形で犯罪に手を染めたのか。おそらく死刑になる直前の姿だ。


とにかくフミはあれから少なくとも20年近くは生き延びてしまったのだ……と言いたいのだが、そうするとある矛盾が生じる。


もう一度最初のシーンに立ち返る。殺人鬼とすれ違った後、ホクロオヤジに絡まれるフミ。この時点では眼帯をしているが、後日になって殺害現場巡りを始めたときにこのオヤジの特徴的な耳を発見している。この時点で本編軸なので、冒頭シーンを本編後とすると時間軸が交錯してしまうのだ。

 

…わからん。
でもこういう面白い構成になっているのは映画としては良い。

 

総評

人を選びすぎる内容なので軽率にオススメはできないけど雰囲気映画としては概ね満足。上述した通りトレーラーにほぼ全てのカットが入っているので鑑賞中『ここ見た』『ここも見た』の連続になってしまったのはややマイナス。
それでもフミのような子どもは現実にいる。他人事ではない。目を背けず見られる方はどうぞ。

 

他人事といえば氏の短編集『他人事』も面白いのでオススメです(宣伝)。


上映期間中、終演後に監督や平山氏、出演者を招いたトークショーがある回があったのだが私は行けなかったのでもし行った方いらしたらそこで得られた補足情報などあれば提供いただけると嬉しいです。