相貌失認の話

私は相貌失認(失顔症)である。
人の顔がわからない。記憶できない。

記憶力自体はそれなりに自信がある方なのだが、視覚情報、こと人の顔に関してはさっぱりである。

 

人生で最初に違和感を覚えたのは小学生の頃。

うちの母校は防犯上の観点から名札をつけるのは1年生のみ、かつ校内限定というルールだった。

上述の通り文字情報の記憶は問題なかったので、クラスメイトだけでなく学年百数名の名前は夏休みに入る前に全員覚えた。

それでも今思うとおそらく名前と顔を一致させて覚えていたのではなく、『太ってる奴、背が小さい奴』といった見た目全体の特徴や『おしゃれで気が強い女、足がクソ速い男』といったレッテルの組み合わせで記憶していた。イヤな覚え方である。

 

一度覚えてしまえば二度と会わないようなことがない限り忘れることはないので学校内での生活は問題なかったのだが、それはある日突然訪れた。

学校が終わって帰宅しようとしたとき、階段ですれ違ったおばさんに声をかけられた。


「あら、ユニちゃんこんにちは〜」と。


放課後の学校に保護者が現れるのは珍しくない。その人もきっとPTAか何かの集まりで顔を出したのだろう。

しかし私はその人の顔に全く覚えがなかった。向こうが知っているということはそこそこ親しい友達のお母さんのはず、なのだが。

とりあえずその場は「エッアッ…ドモ…コニチハ……」と凌ぎそそくさと帰った。

帰宅後、母にその人の特徴を告げたら、「え?●●ちゃんのママじゃん」と返ってきた。

 

●●ちゃんは、つい数日前家に遊びに行った子だった。

 

友達の家のお母さんというのは来たときと帰るとき以外ほとんど干渉してこないものだが、そのときはリビングでゲームをしており、お母さんも洗濯物を取り込んだり夕飯を作り始めたりでずっと同じ場にいた。

 

全然記憶がない。

 

えぇ…?私こんなに忘れっぽかったっけ?と思ったがテキトー人間の母も「友達のお母さんなんてそんなもんよね〜」と笑い飛ばしていたので気にしないことにして小学生時代は終わりを告げた。
(ちなみに母も自称相貌失認で遺伝だよ〜とか宣っているがあれは単にガサツなだけだと思っている)


そして中学生になった。
ここで今度こそ叩きつけられた。
まっっっったく顔と名前が覚えられない。
極め付けは今度は名札もなく、全員が同じ制服を着ている。そして女子校。校則もそこそこ厳しく皆黒髪で髪型の違いくらいしかない。
学年全体の人数も跳ね上がり、一クラスあたりの人数も多い。

 

諦めよう!

 

5月末くらいにそう決めた。この時点でまだクラスの4分の1程度しか覚えられていなかった。

 

どっこい、そうは問屋がおろさない。

 

学校生活でほぼ毎日発生する業務、『ノート返却』。
宿題等で回収し先生がチェックしたノートを職員室に取りに行って皆の机に配布するアレである。

 

本気で泣きを見た。

 

入学当初は席順が名前順なので問題なかったが、最初の席替えからが地獄だった。
とりあえず自分と数少ない友達の分を戻し、なんとか覚えている子の分を戻す。それでもまだ手元には半分近くのノートがある。途方に暮れる。

仕方がないので残りカスレベルのコミュ力を振り絞ってその場にいる子に「ヘヘ…▲▲さんって…席どこだっけ…」と話しかける。

大体の場合はあそこだよ、で終わりだが、たまに「は?ここなんだが」と言わんばかりにすぐ隣や後ろの席を指差されたり「マジかよコイツまだクラスメイトの名前覚えてねえのか」というオーラを出されるともう無理である。

 

人の顔、わかんねえ〜〜〜。
しかしまだ相貌失認という言葉を知る前だったので、単に私が他人に興味が薄いせいだと思っていた。

 

いよいよ生活に支障が出てきたところで編み出した突破策は『』だった。

目も悪けりゃ性格も口も顔も悪い人間に与えられていた唯一の天啓は聴力だった。ついでに00年代アニメ記事の通り色々アニメを見ていた結果声優の名前は覚えていた。声優は名前と声で記憶するので何の問題もなかった。もちろん写真出されてこの人は誰でしょうとされたらわからんが声を聴けば誰だ、というのはすぐわかった。

(ちなみに二次元キャラは相貌失認の対象にならない。彼らは姿形声全てが限界まで記号化されているのでいくらでも覚えようがある)

ということで日常生活で出会う人たちも声で記憶することにした。とはいえこの方法は実際にある程度会話しないと使えないので、中高6年間遂に会話することなく終わってしまった子に関しては『知らない子』のままだった。

 

大学生になった。私はぼっちだった。

あの典型的なウェイのノリについて行けずついて行く気もなく気付けば丸一年ひとりだった。
逆に楽だった。無理して覚える必要がないというのはなんとストレスフリーだろうか。強がりでもなんでもなくぼっちライフを謳歌していた。

それでもなんでこんなに顔覚えるの苦手なんだという思いは漠然とあり、手にしたばかりのスマホで調べてみた。

 

そこでようやく相貌失認という言葉を知った。

先天性疾患のようなものと知って生まれつきならしゃあねえか〜とようやく腑に落ちた。

程なくしてかのブラピも自身が相貌失認であることをCOしたというニュースも流れた。
そんな珍しいものじゃないんだな、と心が軽くなるのを感じた。

 

大学2年目の半ばくらいにようやくぼちぼち人と喋るようになったが、その時にはもう開き直っていたので「話しかけてくれてありがとう、でも私人の顔覚えられなくて君の顔も明日の朝には忘れてしまうから私が覚えるまで毎回自己紹介して」と微妙に上から目線で釘を刺しつつ接するようになった。このスタンスは今でも続けている。

幸い皆ノリが良く、本当に毎日会う度に自己紹介をしてくれたので無事人並みの学生生活にシフトチェンジすることに成功した。

 

社会人になっても時々「この書類●課の××さんに持ってって」と言われて半泣きになることさえあれど、業務上関わりのない人はとりあえず諦めて覚えなきゃいけない人に徹することでなんとかしてきた。時々新人が上司に連れられて「新しく入りました■■です〜」と挨拶回りに来るが大体帰る頃には顔も名前ももうわからない。そんな生活でもなんとかなっているのでもういいや、と思っている。

関わりのない人は関わったときに記憶すればいいのだ。


とまあ私の場合は記憶するまでに時間はかかるし顔はすぐ忘れるけど『●●さんという人』という情報自体は声や他の特徴と結びつけて一度記憶すればそうそう忘れることはないので軽〜中等症レベルだが、重度になると今まさに目の前で話している人が誰かわからなくなるというので大変だなぁと思う。


とはいえ、全く困ることがないわけではない。

 

映画やドラマを観るときである。

過去記事で少し触れた映画の視聴に関して腰が重い、芸能人に極端に疎いというのはこれが原因である。

登場人物が概ね出揃うまでの最初の30分くらいはとにかく集中する必要がある。声をはじめ覚えやすい特徴を見つけ出しながら、登場人物同士の関係性も、ストーリーも把握しなければならない。
この時点ですんごい疲れる。頭痛い。一時停止できる環境なら一旦止めて休憩したくなるレベルなのだが、休憩している間にも定着していない情報はどんどん抜け落ちていくので止めている余裕がない。

それでも直前まで喋っていた人物が次のシーンで髪型や服装を変えて現れると同一人物であることがわからず、新キャラと誤解して混乱する事態もままある。

 

しんどい。

 

邦画はともかく洋画となるともっと大変である。外国人の顔、本っ当にわからん。人種の差以外みんな同じに見える。

たまに『洋画を吹替で観る奴とは仲良くできん』みたいな字幕原理主義者みたいなのがいるが、相貌失認にとっては登場人物の把握にほぼ全てのリソースを割いているところに更に『ストーリーを文字(視覚)で追う』というミッションが追加されるともうパンク寸前なので基本的に吹替しか選択肢がない。吹替担当の中に知ってる声優がいれば『CV●●の奴』という情報でだいぶ助かるし。

 

というわけで観たい!と思う映画があっても登場人物がやたら多かったり単純に時間が長いと躊躇してしまう。最近観た中だとダンサーインザダークとミッドサマーがギリギリだった。なんとか食らい付いて完走した、くらい。人物数、上映時間的にはヘレディタリーやエスターくらいのボリュームだとちょうどいい。

一時期湊かなえの『告白』の映画化を皮切りにスクールサスペンスみたいなのめっちゃ流行ったし当時の年齢的にも観てみたいと思うお年頃だったけど同じ制服着た30人弱で展開される話とか何一つ把握できないまま終わりそうだと思ったので結局観てない。

 

国内の芸能人に関しても基本的にアイドルは興味がなく、ドラマもほとんど観ないので全然わからない。SMAPはギリわかるけど嵐は怪しい、くらいのレベルである。
小学生のとき『野ブタ。』が放送され、世間は修二と彰青春アミーゴ野ブタ観てないと学校で人権がなかったので仕方なく片手間で観ていたが結局最後までどっちが修二で彰なのか、どっちが亀梨で赤西なのかわからなかった。今もわからない。
AKBが出てきたときなんかはとうとう芸能界が主導してクローン人間製造に手を出したのかと驚愕したものだ。でもK-POPアイドルはクローン人間でしょう?

お笑いは好きなので芸人の方が比較的よくわかる。彼らは職業上特徴的な顔立ちや服装をしているので覚えやすいというのもある。いっぱい喋るし。
逆にモデルなんかはバラエティに出て相当喋ってくれないと一生覚えることはないと思う。

 

『好きなタイプ(顔)』『顔が好きな芸能人』とか聞かれてもそもそも理想像というものがないので答えようがないし「あたし●●が好き〜」とか言われても出てこないので返しようがない。

 

タレントや俳優も顔より声で覚えている。その面では一番わかりやすいかつ好きな声の芸能人は玉木宏です。いい声。

テレビに出る人たちみんなフワちゃん並に目立つ&被らないトレードマークつけてくれないかな。


日常の困ることもう一つ。

 

待ち合わせ。

 

「今ただでさえマスクでわかりにくいから大変だね」と思った貴方。優しいんですね。
でも全部出ていてもわからないものが半分になったところで変わらないので大丈夫です。ありがとう。

知人であればまあ見つけられなくはないが人混みでは大体見つけてもらう側である。

 

リア友ならいいが、オタクは軽率に顔も知らぬフォロワーやオン上の知り合いに会いに行く。
ガチ初対面の場合は「推しカラーのスカートです!」「痛バ持ってます!」みたいなやりとりがあるので無事会える。そしてそのままコラボカフェやらイベントやら行き、一日遊んでバイバイ。

 

問題は2回目からである。


普通の人は一日共にした人の顔は普通に覚えてるらしいので当たり前のようにノーヒントである。

 

「改札出て右にいます〜」知らんがな。


初対面時に相貌失認の旨を伝え忘れるとこういう事故が起こる。相手はすぐ目の前なのにひたすらキョロキョロしている。

相手のコミュ力>私のコミュ力であれば向こうから来てくれるので助かるが、逆の場合は何やらそれらしき視線をチラチラ向けられるが決定的に話しかけてきてはくれないので目の前だろうが白々しくても「すんませ〜ん見つけらんないです〜」とか言いつつ電話をかける。

なので『会うの2、3回目の人』が速攻で私を見つけて駆け寄ってくるとすげえビビる。なんでわかるん?私そんなに特徴的な顔もファッションもしてないんだが?怖…ってなる。

これが顔を覚えてるってことか〜といつも思う。普通の人、すごい。

私だったら「ちょっとその場でデケェ声出してもらっていい?」って言いたい。公共の場で人様に急に叫ばせても何の問題もない立場なら。

相手を見つける自信がないときは誰よりも早く待ち合わせ場所に着くのが一番。あとは『ここにいます』って言っとけば相手が捜してくれる。先手必勝。他力本願。

 

『累』の記事の後にこんなこと言うのもアレだが人は見た目が9割とは言うが正直顔なんてどうでもいい。顔がわからない人間からしたらその9割は清潔感とか態度よって構成されていると思っている。美人は3日足らずで忘れるしブスは5分で慣れる。

 

顔など所詮、頭蓋骨に貼り付いた肉の造形に過ぎんのだよ。


取り留めのない話になってしまったがこの記事がどこかの誰かの共感やヒントになってくれれば幸いである。