このブログについて

好きなものの話、好きなだけしてえ〜〜〜。

でも絶妙にマイナーで同志が見つからない。

だからといってSNSで無限に壁打ち連投してたらやべーやつだと思われるしフォロワーが減る。

 

とにかく自分の好きなコンテンツについて書き留めておきたい。そう思ってこの場を設けました。

 

93年生uni(独身)婆さんの戯言です。

喪女と見る鬱映画〜エスター・ファーストキル〜

お久しぶりですとかもうどうでもいいです。

観ました、『エスター続編』。

あれほど楽しみにしてたのに公開期間中多忙すぎて結局映画館に行くことができずオンオン泣いてたんですが7月現在既にアマプラ無料に入ってて狂喜しました。早すぎん?嬉しいけども

 

というわけで早速感想です。ネタバレ全開。

 

結局25歳を9歳に見せることはできたのか

結論から言うとそんなことどうでもよくなるくらい普通に話が面白かった。
どうしてもそのへんに着目しがちな冒頭の精神病院のシーンとかは違和感があったりなかったり…って感じだったけどストーリーが進むにつれそっちに引き込まれて「無理あるな〜」とかほとんど思うことはなくなった。細かいところはガバガバだが(後述)大筋はめちゃくちゃ良い脚本だった。

というか無印観た人はもちろんエスターことリーナが30代であることは最序盤で明かされるので『やけに老けた9歳児』というビジュアルで正解なんだよな。

 

今回も健在だった『どんでん返し』

前作の『9歳の子供だと思ってたら実は30代の女だった』という特大どんでん返し。正直これを超えることはできないと思ってたので今作は普通にリーナの過去を描いた話だろうと割り切っていたが予想を遥かに超えてきた。

寄生先の家族がエスターに匹敵するレベルのサイコパスだったでござるの巻。

これ予想できた人いる?いたら手挙げてほしい。嘘つけお前って言うんで。
どういう確率だよとかいうリアリティは最初から求めてない。これを思いついただけでもうこの映画としての価値は充分だと思う。

 

その他も光る無印リスペクト

無印オマージュも所々垣間見れて前作ファンはニッコリできたと思います。
何てったって今回もパパが無能!!やったぜ!!
あとはババア同士のプロレス大会ですね。今回は前座にvs兄もあるぞ!
無印も今回もママのフィジカルがバケモン。そしてそれに対等に渡り合う肉体年齢9歳のはずのリーナさん。絶対嘘だろ。9歳児が成人女性と並ぶフィジカルを得られるトレーニングあったら教えてほしい。

 

しかし細かい粗は目立つ

ここまで褒めちぎってきたが一応の整合性はとれているとはいえ細かいツッコミ所は多々あるので以下順に挙げていく。なにせ一回観ただけなので解決済の問題だったらすみません。

 

リーナの『7人殺し』

無印でリーナは「過去7人を殺めている」と言われている。
ここで本作でのリーナのキル数を振り返ってみる。
・オルブライト一家3人
・刑事
・芸術療法士
・病院職員(ロリコン

…6人。一応他の患者をけしかけて殺した警備員を入れれば7人。

6人カウントなら最初の一人はいつなんだそれがファーストキルなんじゃないかということになるし、本作ラストでリーナは何事もなかったように『火事になったオルブライト家の唯一の生き残りの娘=(孤児)、エスター』として孤児院送りになっている。つまりはオルブライト家での一件は完全に揉み消しに成功している。

にもかかわらず無印ラストで最初の精神病院から7人殺しの殺人鬼と言われている。…ということはオルブライト家の一件はこの時点で明るみになっている?にしても芸術療法士の家で優雅にワイン飲みながらパソコンいじってる時点でここまでの足取りは掴めてるはずなのにそっから2年弱も何やってんだって話なのだが。

 

警備もできんのかこのザルゥ!

そもそも冒頭で精神病院にいた時点のリーナの罪状って詐欺、窃盗のみだっけ。まだ殺してない…よね?
頭豆腐でできとるんかって感じのロリコン職員を殺して始まる脱走劇。

犯罪者を収容している病院で全てをセキュリティカード一枚で通すな〜〜〜〜!!!

普通の精神病棟でもカードキーの他に複数の物理錠で施錠してるって聞いたことあるぞ。ザルが過ぎる。

 

ママの狙い

いやなんで引き取ったの???
失踪扱いにして殺した娘を名乗る人物が現れた!これで失踪児を出した家の汚名も拭えるし夫も色んな意味で元気になったしもし娘の死体が見つかってもエスターならここにいますけど?で通せるぜ!ってこと?お前も頭豆腐か?

実際死体が見つかったらDNA鑑定でアウトなのは言わずもがな(というかそもそもリーナがエスターだと名乗り上げた時点でDNA鑑定せえという話でもある)、エスターを名乗る謎の少女が30代の女だとはさすがに予想外だったママ。それ以前に既に死亡した娘を名乗って現れた9歳児って怖すぎないか。本当に9歳だったとして親に捨てられた本物の孤児でいい家に取り入ってやろうと失踪児になりきる頭脳がある9歳児、怖い。

ていうかリーナが車奪ってウキウキでタバコふかしながらドライブしてたら警官に捕まったシーンで既にママが告発したと思ってた。もう決裂寸前だったし「娘が勝手に車運転して逃げたんです!いや娘じゃない!あれは30代の犯罪者なの!!捕まえて!!」って。

それにいくら換気したとはいえ呼び止められたタイミングで絶対タバコ臭したろ。スルーすな。タバコ臭は百歩譲っても警察、あっさり引き渡してお帰りあそばしてたけど9歳児がガンガン運転してたことについてもっとこう、あるだろう。それともアメリカでは稀によくあることなんですか。怖い怖い。

その後も屋根の縁に成人女性と腕力だけでぶら下がって最終的に打ち勝ったりしてるけどまあ『前日譚』の役割は果たしたのではと思う。

 

結局『ファースト・キル』とは

このタイトルからするとリーナがいつ『最初の殺人』を犯したか、を語る話だと思いがちだがそれまでただ子どものふりをして窃盗や詐欺を働くだけだった女がいかにして『女としての愛を得るために様々な家庭に入り込むサイコキラー、リーナ(エスター)』になったのか、を描いた作品と言うと腑に落ちる感がある。

前作を観た人の一部はリーナの境遇に同情する人もいるだろう。彼女の動機は『30代の女として幸せになりたい』だけなのだから。(実際応援上映では「がんばれ!」の声が飛び交ったとかなんとか)

今作は前日譚であると同時にリーナという人間にフォーカスした特別編のような雰囲気もある。ある種ヒューマンドラマなのかもしれない。

 

そんな感じの続編でした。

エスター(リーナ)の物語』としては充分に完結したと思うのでここから先はこれ以上蛇足になる作品を出さないでくれと祈るばかりである。
でも今作のママのスピンオフならちょっと観たい。

喪女と見る鬱映画〜エスター〜

 

続編『Orphan: First Kill』、23年3月公開決定!!

 

やっと情報出た。コロナ禍もあってずっと続報なかったから頓挫したのかと不安だった。同じ時期に初報出て同じような状態にあった『マッドハイジ』もちょっと前に動いたと思ったらweb先行配信。映画館で見たいよ!!


今回はもうネタバレとか今更だと思うので視聴済みの方向け全開の記事です。

 


とりあえず今めっちゃ焦ってる。
2回観たのだが、初視聴時はいつも通り吹替で観て、こないだ続報が出て見返すか〜と思って年末に作業用BGMとして半分垂れ流しで観た。もちろん吹替。


つまりは字幕版を観ていないのだ。
それで何で焦るかというと。

 

 

大人が演じる『子供』の最大の壁

続編の最大の話題ポイントは何より『現在25歳となったエスター役のイザベル・ファーマンが再び9歳のエスターを演じる』ことなのは言うまでもないだろう。

実際無印でエスターの実年齢が判明した後の当時9歳のイザベルはメイクと本人の演技力もあって本当に30代の女に見えるから凄い。

情報開示当初は「大丈夫なの?さすがに無理ない?」という声が噴出したが当時からメイク技術も撮影技術も飛躍的に向上した今、25歳を9歳に見せることはそれほど難しいことではないのかもしれない。

しかし、見た目はクリアしてもどうしても解決できない問題がある。


『声』である。

 

『大人が演じる子供の声』というのはやはり実際の子供の声とは違う。どんなに上手いベテラン声優でもやっぱり何か違う。

 

昔やたらめったらゴールデンタイムにアニメ・アニソン特集が組まれ、声優がゲストとして呼ばれてイジられる時期があったが、その中のひとつに出演していた『トトロ』のメイ役の坂本千夏氏が、「セールスとかめんどくさい系の訪問が来たらメイの声で『お母さん今いないのでわかりません!!』と追い返していた」なんてエピソードを語っていたのを思い出した。
確かに一瞬なら騙せると思う。しかし聴き続けるとやっぱり違うなぁとなるのが『大人子供』である。

逆の例も挙げる。サンホラこじらせていた高校生時代、待ちに待った新譜Märchenをワクワクしながら聴いていたときの話。オカマな女将のじまんぐに爆笑したその直後、流れてきた澄んだ歌声。


「子供!?いやでも上手い……!?」


歌声の主は今や人気声優となった黒沢ともよ氏。当時14歳。この時点で歌も台詞も抜群に上手かったので14歳だと知ったときはひっくり返った。そしてやはり本物の子供の声はやっぱり違うなと思ったのだった。

 

いくら子供役が上手い声優でもそれはあくまで『ロリ声/ショタ声』であり、それは我々も無意識的に認識しているのだ。

 

話を戻す。つまり私は『9歳のイザベル・ファーマンの声』をまだ聞いていないのだ。
劇場で観るときはさすがに字幕を選びたいと思うので早急に無印字幕版を3回目として観なければいけない。だから焦っている。
仮に続編エスターの容姿が完璧だったとしても『声』は果たしてどうなのか。そこが気になって仕方ないのだ。

 

『倒せる怪異、エスター』

散々続編、と言ってきたが続編は無印の前日譚である。なぜなら無印ラストでエスターは無事死亡したので。

ホラー、特に続編作る気満々の作品は大体『解決したようで実は…』というオチが多い。霊なら誰もが忘れていたサブキャラにちゃっかり取り憑いていたり、人怖系なら元凶の思想を引き継いだ人間が動き出したり。

様々な家庭を引っ掻き回し殺し崩壊させてきたエスターことリーナだが、彼女は怪異でもなんでもないサイコパスなだけの人間である。偽の証拠をでっち上げるためだけに万力で自分で自分の腕をへし折るガッツはあるが致命傷を与えれば普通に死ぬ。というか死んだ。

『死体が出ないのは生存フラグ』とはよく言うが凍った池に丁寧な起き攻めを食らいつつ沈んでいき、最後の最後で池の縁にヒタ…と手が現れるなんて演出もなかったのでまあ死んだと見ていいだろう。とりあえず当記事ではそうする。

一定規模の野望を持った悪役というのは自分が死んでも計画がポシャらないように周到にサブプランを用意しているものである。
しかしリーナにはそれはなかった。なぜなら彼女の目的は彼女だけの欲望だけに終始するからである。そもそも用意する必要すらないのだ。

 

それでも既に7人殺して何回も失敗してるのは彼女がサイコパス故なのか無能なのか。

上手いことロリコン親父に取り入れば『女として愛される』という目的は達成できそうなものだがそれじゃダメなんだろうなぁ。リーナは(仮に自分を見る目が女としてであっても)幼女として愛されたいのではなくあくまで30代の女として幸せになりたいのだろう。だからあえて養子として自分と同年代の夫婦の家庭に潜り込み、あわよくば夫を寝取ろうとする。

殺人に対しての躊躇の無さは単純に殺人衝動を抱えているか証拠隠滅の一貫なのか。にしても本編の無能パパの殺し方の雑さを見るととっくに捕まっててもおかしくないもんだが。

 

そのへんも前日譚で明らかになると嬉しい。


初心者にオススメのホラー映画

上述の通り(現時点で)一作完結・後味スッキリ(当社比)、グロ少なめ・ジャンプスケア少なめ。

ジャンプスケアは当方も苦手なのでここに関してはすごく勧めやすいと思っている。『じっとりした怖さ』系ではヘレディタリーも好きなのだがあれは一番グロいシーンが不可避のタイミングでやってくるのでちょっと勧めにくい。ていうかエスター観たすぐ後にヘレディタリー観たんだけど舞台が『田舎のだだっ広い豪邸withツリーハウス』と全く同じで笑った。あと鳥が死ぬのも。お約束なんか?アリアスター作品の記事もそのうち書きたい。

 

『ホラー、あんま得意じゃないけど興味はある…』くらいのホラー映画ルーキーにはちょうどいい塩梅なのではなかろうか。
ホラーダメって言ってる人には無理に観せるのはやめよう。

 

どうなる続編

とまあ今のところはワクワクなのだが約2年の沈黙を破って遂に出た超特報()ティザームービーが、


これ。


短いよ!!!!!!
あんまり短いとエスターのビジュアルはじめお粗末な出来になってしまったのか心配になるよ!!!!

とはいえ海の向こうの視聴済勢からボロカスに叩かれる声は今のところ私のインターネッツには飛んできていないのでできるだけワクワクをそのままに公開を待ちたいと思う。

喪女と読む鬱漫画〜最終兵器彼女〜

 

同人誌だこれ!!

 

読了後の第一声である。

最終兵器彼女。名前はかねがね、という感じだったがずっと読んでみたいと思いつつ忘れ去られていた漫画のひとつだった。
そして22年末、マンガワンに期間限定一気読み作品としてやってきた。
長すぎないし無料で最後まで読み切れそうだったのでこれを機に読んだ。
そして上記に至る。
というわけで。

 

 

最終兵器彼女 感想

 

セカイ系とサイカノと喪女

今でこそパンズラビリンスの記事で綴ったダークファンタジー並に定義がデカくなりすぎてしまった『セカイ系』。とはいえ連載当時はまだ『エヴァっぽいやつ』くらいの括りだっただろう。

セカイ系、定義の広さもさることながら人によって好みが違いすぎるから手出しにくい。なんなら当方はエヴァ履修放棄したオタク失格なオタクなので苦手意識すらある。

そもそもSFから派生したジャンルである以上SF要素はほぼ確定で絡んでくる。SFそんなに興味ない層としてはこれも壁となる。

個人的には宇宙の探索や宇宙空間での戦闘などがメインならSF、それらを遂行する人間の心理描写がメインならセカイ系、として認識することにしているのだがこの定義であれば私の好きなセカイ系というのは人間:宇宙=9:1くらいである。
イカノは8:2くらいだろうか。比較的読みやすい部類だったとは思う。


ちせタソ萌え萌え

この作品の軸は終末でも恋愛でもなくこれに尽きると思う。同人誌っぽさもほとんどがこれのせいだろう。

兎角作者の『メカメカしい羽を生やした女の子が描きたい』『普段はどんくさいけど戦闘では死神の如く街を消し飛ばしていく強い女の子すこ』という思いがひしひしと伝わってくる。

まあ実際かわいい。今でこそメカ少女・メカバレというのは性癖の一ジャンルとして確立しているがちせはその立役者の一人であろう。

 

イカノにマイナス評価をつけている人の意見では『なんで戦争してるのかとかの状況描写が足りなさすぎる』『そのくせ無駄に性描写ばっかり多い』あたりが多かった。わからなくもない。とはいえ説明できなくもない。が、


『同人誌なんだからこまけぇこたぁいいんだよ』


この一言で個人的には全部片付けられてしまった。

戦争に関してはおそらく唐突な気候変動などにより地球がヤバい状態になって比較的安全だった日本の土地を求め各国が攻めてきている、しかしちせ一人では街ごと消し飛ばしながら食い止めるのが精一杯で最終的には北海道だけが残った、という具合だろう。宇宙人でも攻めてきたんか?とか言ってる人は単純に読解力不足です。

性描写に関しては…まあ動物は危機に瀕すると生殖本能がどうの〜とかこじつけられなくはないが確かに「ヤっとる場合かーーッ!」とツッコミたくなる所もある。

ちせ絡みはちせタソハァハァなので。問題はふゆみ先輩とアケミだろう。欲求不満こじらせて若い男に執拗に迫る人妻、という存在はAVにしか必要ない。それ以外の所に出現するとただただ不愉快なだけである。ましてやこんな殺伐とした世界では尚更。しかしふゆみ先輩はわかりやすいヘイト集めキャラなのでそういうものと割り切ってしまえば気にならない。

アケミはなぁ…。ツンデレ幼馴染が死の間際に片想いの心情を吐露する、というかなり悲劇の山場で「胸触って」は流石にズコーとなってしまった。その前に血に塗れたパジャマとシーツがバリバリと音を立てて剥がれる、といった丁寧な『死』の描写があったりしたので余計に。

 

マン満を持してのちせとシュウジのセックスもこれまでのもどかしい接触を経た上でこの二人の子供が人類の希望になるんやなぁとか思ってたらちせには既に生殖機能が無いことが明かされ、残された時間も少ない終わりゆく世界でただオナホに突っ込んでるだけ、という無駄の極みなシーンになってしまった。リンダキューブのリンダを見習え。

 

でもまぁ、同人誌なので。描きたいとこ描いたらこうなったというだけってのはよくあるよね。と溜飲を下げた。

 

ラストシーンとその後と『終わり』

自らの手で人類を滅ぼし地球を終わらせ、『船』となってシュウジを包み込み、宇宙へと旅立ったちせ。
ホログラムとして『ちせ』の姿を現すことはできるが、ほぼ概念のような存在になってしまったちせと、その中で暮らすことになったシュウジ、というところで物語は終わる。

 

う〜ん、いいメリーバッドエンド。

 

少なくとももう人間ではないちせと、普通の人間のシュウジ
メシの問題はとりあえずなんとかなるようだが風呂は?トイレは?人間であるシュウジには寿命がある。共に在れるのも精々100年弱。シュウジ亡き後、ちせは今度こそ一人ぼっちだ。ずっと、あるのかわからない『終わり』を待ち続けながら宇宙空間を漂っているのだろう。地獄。

バドエン厨的には満足だがハピエン厨の中の「ちせが出した食事(=ちせの一部)を取り込んで最終兵器彼氏となったシュウジと永遠に一緒にいられるね!」という狂った意見を見てなるほどなーと思った。

 

だが、人の心を持った存在に『永遠』は耐えられないと私は思う。

実際かつてはあれだけ錬金術だのオカルトに縋ってまで不老不死を求めた人間も、今では『単純な寿命ではなく健康寿命を伸ばす』『終活』と、『終わり』を見据える方向にシフトしている。終わりのない命を生きることに人は堪えられないと皆薄々気付いているんだと思う。

「今からあなたは不老不死です!切り刻まれても焼かれても血の一滴灰の一片からでも一瞬で蘇生できるよ!おめでとう!」と言われても楽しいのは最初だけだろう。

 

フィクションにおいてポジティブに不老や長命を謳歌しているキャラというのは大体『移り変わる人や自然の営みを眺め続ける』ことを生きがいとしていることが多い。

しかしちせはどうだ。自らの手で全てを消し去ってしまった。目の前にあるのは恋人とだだっ広い宇宙空間だけ。仮にシュウジが不老不死になったとして、二人の存在が永遠のものとなっても、その間にある愛は永遠ではない。


飽き。倦み。続けば続くほどそんなものに蝕まれていくのが愛というものだ。

心も同じだ。中盤ちせが兵器として『成長』すると共に人間らしさを失っていったのは『ヒト』ではなく『モノ』へと変化していく過程ではなく不滅の『モノ』として永遠を生きていくのに『ヒト』の心を持っているのは辛すぎると無意識的に手放したと解釈することもできる。

 

一人でも、二人でも、最終的にそこにあるのは人の心を捨てた『何か』だけ。エンディングの遥か先に待つのはどっちみちそんなバッドエンドな気がしてならない。


そんな感じで今年もよろしくお願いします。

喪女とピアス

アニメとか映画記事中々書き上がらないので。

 

針が好きだ。ピアスが好きだ。点滴が好きだ。注射も採血も好きだ。

 

シャブ中じゃないです。

 

無駄に体に穴が空いているタイプのただのイキリ陰キャです。無害です。


昔から好きだったわけではない。
それこそ幼児の頃は歳相応に予防接種の度に泣き叫び時には病院から脱走し親と看護師に捕獲されていた。

いつ何がきっかけで克服したとかは特にない。
注射打つときはガン見するタイプ。テンション上がりすぎて笑ったり震えたりするので看護師に「(いろんな意味で)大丈夫ですか?」と心配される。

 

シャブ中じゃないです。


ピアスの話に戻る。

子供の頃からなんとなく『大人になったらピアスを開けるもの』という認識があった。だが小学校に上がりたてで出会ったイタリア帰りの帰国子女の子が既に両耳ピアス開いていて驚愕した。

高校までは染髪ピアス禁止だったので卒業したら髪染めてピアス開けるぞ〜と意気込んでいた。
髪は卒業式翌日に染めた。しかし準備が必要なピアスはそうはいかなかった。

そうしてタイミングを逃したままズルズルときてしまい、気付いたら大学まで卒業していた。

 

意気込んでたくせに初ピアス22歳。遅すぎる。

 

決してビビってたわけでも忘れてたわけでもないが、『自分の性質上多分一回開けたら両耳一個ずつだけとはいかないだろうな』という予感があった。そこで若干躊躇していたところはあり、それは案の定的中することとなる。

 

現在、大体10個前後を維持している。

 

まだまだ増えたり減ったりする予定だが、一旦備忘録兼レポとしてまとめておきたいと思う。

(画像は)ないです。

ピアッシングは医療行為です。セルフで行う場合は自己責任です。この記事を参考にした結果について当方はいかなる責任も負いません。

 

ロブ

 

・1回目(両耳一個ずつ)

記念すべき初ピアス…だが正直納得いっていない。
多くの人が口を揃えて言う『最初は病院でやってもらえ』を信じた結果、よくある『ピアッサー持ち込みで無料で開けてくれる病院』に行った。

 

クッソ斜めに開けられた。

 

無料というのはその程度である。カウンセリングなんぞもロクになく、予約の順番が回ってきたら部屋に入って看護師がガシャンガシャンと開けていく。
完全に流れ作業。ベルトコンベアの如し。

『病院でやってもらえ』というのは本来資格のある者しかできないピアッシングという行為をちゃんとした資格のある者にやってもらう=万一の場合のアフターフォローがきく、というメリットが得られるだけである。

医師や看護師がピアッシングが上手いとは限らない。自信あります!経歴あります!と謳っていてもハズレに当たることはある。

上述のメリットとかどうでもいいわって方はわざわざ病院行かなくてもピアス開けるの上手い友達とかが身近にいればその人にやってもらえばいいと思います。

 

私は二度と病院では開けない。

 

・3個目

『好きな人にピアスを開けてもらう』という憧れ、ありませんか?私はありました。

 

ほとんど生まれたときから共に過ごしてきた幼馴染がいる。
彼女は私にとって唯一の存在である。
恋愛ではない。かといって友情の証みたいな安っぽいものでもなく、漠然と『こいつにピアス開けてもらいたいな〜』と思っていた。
非常にイタくて文字にすると尚更恥ずかしいが、『大切な人に消えない傷を刻んでほしい』みたいなノリである。

 

というわけで、サシ飲み3軒目くらいの場末のバーで、徐にピアッサーを取り出した。(消毒用の除菌シートも持参)
客は我々以外には居らず、店主ものんびりと店仕舞い支度をしていたところだった。

彼女には事前に何も伝えていなかった。大層驚いていた。目の前の人間がいきなりピアッサーを取り出して「開けてくんね?」とか言い出したら当たり前である。

彼女は結構なビビりなのでやってくれるか一か八かだったのだが、結果きっちり綺麗に開けてくれた。

 

ファーストピアスは緑色。
5月生まれの彼女の誕生石、エメラルドの色。

 

しとしとと雨の降る夜だった。


書いてて我ながらエモすぎるエピソードだと思うんですがいかがでしょうか。
でも飲酒時にピアス開けるのはやめましょう。

 

・4&5個目

上記でロブが右2左1になったのでじゃあ右3左2にするか的なノリでセルフでサクッと。ここからはピアッサーは使わずニードル。

後々拡張とか含めるとロブは片耳3個が上限かな〜と思いつつももう一個くらいはいけるんじゃないかという思いも抱えている近況。


ヘリックス


・1回目(インダストリアル)

最初のロブが一応完成したところで次は軟骨いってみっか〜と思って色々見ていたら見つけたのがインダストリアル。

可愛い〜〜〜〜!!!!これにしよう。即決。

 

結論から先に言っておくがインダスは初心者向けではない。ましてや初軟骨でやる部位ではない。

インダスは二つのホールが完璧に平行に開いていないとすぐ肉芽等のトラブルになる。繊細なピアスだ。

セルフは無理。病院も信用できん。
というわけでピアススタジオでやってもらうことにした。
検索でも上位に出てくる某有名店で施術。一万円弱くらい。たっか!!と思う方もいると思うし正直自分も思ったが結果として技術料と考えると安いくらいだった。

ホールは完全に平行。普段メガネなのでメガネに干渉しないように、というオーダーにもきっちり応えていただいた。まさに神業。
ついでに得られた病院で買わされた消毒ジェルはホールに良くないからやめろというプロの意見。帰宅して即ゴミ箱にブン投げた。ピアスのアフターケアは石鹸とホットソーク、たまに膿んだらドルマイシン。それだけで充分。

そんな感じで一年経たないくらいで完成。

 

ここからは愚かな私の話。

いくら完成時が完璧でも、人体というのは日々変化していく。皮膚なぞターンオーバーにより尚更である。

当時はまだまだピアス初心者だった私は開けた日から常にストレートのロングバーベルを差しっぱなしにしていた。
元々ホールが塞がりやすい性質なのもあって風呂も寝るときもずっとつけっぱなし。

その間、約4年。
するとどうなるか?


日々僅かに、僅かに変化し、徐々に平行ではなくなっていく二つのホール。それを無理矢理ロングバーベルで繋ぐ。当然ホールに負荷がかかる。

 

気付いたら、1cmくらいの肉芽ができていた。

 

そんなデカくなる前に気付くだろ、と思うが14G差してるとピアスの質量で拡がって見えるだけだと思い込んでしまいがちなんだわ。
ロングバーベルを外し、シャフト10mmくらいの普通のストレートバーベルをそれぞれに差してみたら、

 

\  /

 

ホールの向きはこれくらいになっていた。

そんなわけでロングバーベルつけっぱなしはやめましょう。
それでもインダスは一生モノではないと思うが、一日でも長く維持したければ、完成したらたまには可動式バーベルとか独立したピアスにしてホールを休ませること。ババアとの約束だ。

クソデカ肉芽についてはほっとくか切除するか検討中。

 

余談だが私が開けた当時はインダスというのはまだまだ浸透しておらず人に見せると何ソレ!?みたいなリアクションをされたがここ数年で急速に知名度が上昇した気がする。ホール一つでインダスっぽく見せられるイヤーラップピアスなるものも登場し、二次元でもインダスつけてるキャラを最近すごくよく見かける。

世間がインダスの可愛さに気付いてしまったのが嬉しい反面ちょっと悔しい。

 

・3個目

インダスと反対の耳のよくある普通〜のヘリックスにブスリ。初セルフだったが上手くいった。今も健在。

 

・4個目(アンテナ/未遂)

横のインダス完成したら次縦に開けてクロスにしたい!という†野望†があった。

のでとりあえず上を開けて、完成したら位置調整しつつ下を開ける予定だった、のだがどうにも完成しなかった。
ケアはちゃんとしていたつもりだがやっぱり髪が引っかかりやすい部位であり横位置のヘリックスよりは難しいことを学んだ。

でもまだ諦めていない。

 

・5個目(フォワード/失敗)

トラガスの上あたりに開けてみようとしたが、耳側から刺した針先がほぼ顔の皮膚から出てきたのでそのまま抜き去って手当てして終了。内側に刺しすぎた模様。

 

・6個目(アウターコンク/未遂)

失敗ばっかじゃねえかって感じだがぐうの音も出ん。
開けるときも綺麗に開いて目立ったトラブルもなかったのだが一年経ってもどうにもグジュグジュしたままだったので抜去。

敗因が未だによくわからないのだが可能性としてはファーストピアスにラブレットを使用したのが原因か。
髪やメガネが引っかからないようにラブレットにしてみて、実際引っかかりに関しては快適だったのだがやはりあの円盤状の部分に汚れが溜まりやすいのだろうか。

こないだリベンジした。今度は普通のストレートバーベル。経過観察中。

 

・7個目(ダイス)

これまた一目惚れだがセルフは無理なので再びインダスやってもらったスタジオで施術。
相変わらずの神業。プロしか勝たん!

可愛さは保証するが少なくとも安定するまではイヤホンがつけられなくなる(ヘッドホンも避けた方がいい)のでNo music,No lifeな方は慎重に。


サーフェイス

 

ここからはサーフェイス(皮膚表面のピアス)。これらは耳のように貫通するのではなく皮膚表面を潜らせる性質上安定はしない。日々のターンオーバーにより少しずつ排除されてくる。そんな刹那的なところが愛しい。

 

・1個目(指)

そうだ、指開けよう。なぜそう思ったかは覚えてない。

不治の爪噛み癖によりネイルとは無縁の人生だった。しかしこれによりネイルする人の気持ちがめちゃくちゃよく分かった。

 

指先がカワイイの、めちゃくちゃ幸福感高い。

 

ピアス開けるまで指先ってこんなに目に入るものなんだと気付かなかった。
仕事中PCカタカタしてても、家でスマホいじってても、常に目に入っては、「ふふ、カワイイ…」と悦に浸れる。

一番気に入った部位かもしれない。

 

排除までは約2週間弱。儚い。
開けるのも結構大変である。
書類クリップの小さいやつでなんとか指の肉?皮?を摘み上げて、刺す。ピアスは10mmシャフトのバナナバーベル。
クリップで挟まれる痛みの方が痛いし痕も中々消えない。あと何よりキャッチ嵌めるのが大変。この作業だけでも人にやってもらった方がいい。私の場合ドルマイシンでヌルヌルの状態でなんとか付けたと思ったら翌朝起きたらキャッチがベッドの上に転がってた。

ちなみに指に開けると寝るときの姿勢がもれなく『止まるんじゃねぇぞ…』になります。キボウノハナー

 

このときは中指に開けたのだが小指開けてみたい!と思ってこないだチャレンジしてみたが指太い方な私でも無理だった。18G8mmバーベルでも無理だった。
そもそもクリップで摘めるだけの肉がない。男性ならいけるかも。

 

余談。
普通の人は『指にピアスを開ける』という発想がないので意外と気付かれない。認知バイアスも加わって指輪に見えるらしい。言うまで気付かない人もいるし、「え、それってもしかして刺さっ……うわぁ……」となる人などリアクションが多種多様で面白い。

 

・2個目(鎖骨)

未だによくわかってないんだけどマディソンって鎖骨中央だけを指すのか?左右の鎖骨もマディソンって呼んでいいの?

まあ鉄板やろと思って右鎖骨の下あたりにブスリ。
鏡見ながらな上これまたクリップで肉が摘みにくく(肉だけに)、刺す前に何度もクリップが飛んでった。

開けるの大変な割に排除が爆速すぎる。一週間くらい?刺しが浅かったのもあるかもしれないが4日目くらいには既にシャフトが浮いて見えていた。

サーフェイスは目立つかはともかく刺し傷のような痕が残りやすいが鎖骨の痕は半年くらいで消えた。

 

・3個目(手首)

手首切るくらいならピアス開けようぜ!

外側か内側か迷って内側にした。
開け方もキャッチの付けづらさも概ね指と同じ。
綺麗に開くとマイクロダーマルっぽさもあってカワイイ。

ちなみに埋め込み系はMRI受けられなくなるという虚弱人間には文字通りの死活問題という壁があるのでやりたいけどできない。サーフェイスで我慢。

こっちは逆に排除が遅すぎた。


全然浮いてこねえ。


半月超えても排除の傾向すらなく大丈夫?このまま癒着しない??って段々不安になってきて結局自分で外した。あのまま付けてたらどうなってたんだろう。

めちゃくちゃ間隔長いやつがいいとかでなければわざわざサーフェイスバーベルじゃなくてもバナナバーベルでいい。自分の場合確か16G12mmくらい。

 

手首開けるときふと思ったのだがコルセットピアスってどうなんだろう。
知名度の割には実際にやってる人は少なく、画像検索してもフェイクのタトゥータイツみたいなのばかり出てくる。

がっつり編み上げの形にしなくても、手首の左右に一対ずつ開けて間にリボンとかチェーン通したら可愛いんじゃないか?と思ったのだ。
が、同時にサーフェイスにCBRとかフープピアスってどうなのよ?という考えがよぎった。

多分これがコルセットピアスやる人が少ない理由だと思う。
バナナバーベルよりカーブきついピアスをサーフェイスに通すとか排除速度はお察しだし冗談抜きで引っかけたら皮膚ごと持ってかれるし単純にいっぱい開けなきゃいけないし。
いくら短期間のオシャレでもコスパ悪すぎるよなぁ。フェイクで充分というのは真理かも。


なぜピアスを開けるのか

ピアスが好きというのはもちろんだが針ジャンキーだからです。

私の周りのピアス多めな方々は割と病んだりイライラしたときに開ける人が多い。対して私は基本的に元気なときなんか楽しくなっちゃったとき、ようはハイで躁なときに勢いで開ける。

病んでるときに開ける人の気持ちも分からなくはない。ようは無駄に手間のかかる自傷である。でも上でも言ったけど手首切るよりは健全でいいと思う。残るものもあるし。でも私は病んでるときにニードルとピアス消毒して軟骨やら用意して…って気力はない。

 

今後の展望

上記箇所のリピートとトラガス、ヴァンパイア、インナーコンク、拡張…あたり。
よく舌は?と聞かれるが口周りは開ける気はない。なぜならごはんをおいしく食べたいので。スクランパーとかかわいいけどね。

 

最後に昔話をひとつ。
かつてあった原宿のピアスショップを物色していたときのこと。
おそらく還暦は超えているだろう老夫婦が店主と談笑していた。
お二方はゴリゴリのパンクファッションに身を包み、それぞれ耳だけで20は超えるであろう数のピアスが開いていた。

 

超カッケェと思った。

 

人によってはイタい老人にしか見えないかもしれないが、どれだけ歳を重ねても自分の好きなスタイルを貫く姿勢に感服した。それも夫婦で。(もしかしたらただの趣味仲間かもしれないが…)

己のスタイルを貫くことは難しい。特にファッションに関しては常に老いとの闘いである。
それでも自分のしたいファッションを貫くために努力をしている人は何歳でも美しい。
若さにかまけてすっぴんボサ髪でロリィタを着て大口開けてゲラゲラ笑っている若い子よりも、シワやシミを隠しきれなくても洋服に負けないメイクにこだわりのウィッグ、体型の維持、所作にまでこだわってロリィタを纏うおばあちゃまの方が私はかわいいし美しいと思う。

 

http://www.moae.jp/comic/complexage/0/1

 

この手の話をする度に思い出すのがこの『コンプレックス・エイジ(読切版)』。
『加齢に悩む34歳のゴスロリ女』でバズった作品、と言うと思い出す方もいるかもしれない。

読切版の主人公、佐和子は老いていくたびにゴスロリを纏った自分の姿が理想から離れていくことに耐えられなくなり、ゴスロリを手放した。

ややネタバレになるが、連載版ではこの佐和子の娘が主人公でコスプレイヤーとしての理想と現実に悩む、という話なのだが、読切版で佐和子の友人として出てきたノリも終盤で出てくる。

 

『お母さん(佐和子)が辞めても今でもずっとゴスロリを着ている友達』として。

 

還暦を超えたノリは和服をゴスロリ風にアレンジして纏い、優雅に佇む女性になっていた。
さすがにこの歳では真っ黒なフリフリワンピースは着れなくなってしまったが今は今で概ね満足、という様子。佐和子のように思い悩むこともあったが、自分にとってはゴスロリが一番だった、と語る。

 

まあそれもありよね、と思った。

笑われようとも後ろ指をさされようとも意地でも昔からのスタイルを貫くか、好きなテイストを取り入れつつ今の自分の身の丈に合わせていくか。どちらも間違いではない。大切なのはスタイルを貫く努力とTPOを守ること。

 

この先もピアスをやめる気はないし、ガチャガチャした耳に合わせたガチャガチャした服も好きだ。
25過ぎたあたりから「もう着れないな…」と思う服が出てきた。
でも30目前になり一度はもう着れないと思ったアルゴンキンやナオト系に一周回って出戻りかけている。あれぇ……?

喪女と見る鬱映画〜パンズ・ラビリンス〜

 

久々につまんね〜映画観たなと思ったので。

 

作品名自体はかなり前に知ったのだが『調べても調べても何映画かわからない』という理由で後回しになっていた。

ツタヤでパケ裏見てもファンタジーを謳っておきながら写ってるカットはなんかグロいバケモンだしかといってホラーとも書いてないし「何この…何?」状態が深まるだけとなった。じゃあ尚更観てみればいいじゃんという話なのだが他にも観たいのもあったしエネルギー消費を鑑みると後回しにするしかなかった。

 

そんなこんなでアマプラのウォッチリストに入れっぱなしにすること数年。ずっとレンタル限定だったが遂に2022年11月現在無料視聴にやってきたので観ることにした。

再生ボタンを押す直前まで結局何映画かはわからなかった。


というわけで感想です。当然ネタバレ有。

 

パンズ・ラビリンス』感想


序盤はよかった、序盤は

母の再婚の巻き添えで過酷な生活を強いられることになってしまった可哀想な少女オフェリア。唯一の心の拠り所はおとぎ話。ゲリラ相手に内戦をしている大尉の父の拠点に移り住む道中で奇妙な石像とカマキリ(オフェリアは妖精と呼んでいる)に出会い、おとぎ話の世界と重ねて目を輝かせる。

ここは視聴者もオフェリアと同じ心境になれるポイントだろう。これからオフェリアはどんなファンタジーに触れていくのか、冒頭語られた地下世界にアリスのように落っこちてしまうのか、シンプルにワクワクできた。

見た目はおどろおどろしいが動きはどこか人間くさいというかコミカルなパンと出会い、本に書かれた3つの試練をクリアするよう伝えられるオフェリア。

あ、そういう感じね。試練って現実世界で行われる感じなのね。と思ったが試練への入口までは現実で道中はファンタジー世界なので行ったり来たり、という感じである。今作のコンセプトは『現実とファンタジーの交錯』であるがこれもその一部であろう。


2つ目の試練…

はい、失敗しました。

ファンタジー世界に入り『短剣を取ってくる』というミッション自体は遂行したものの、『途中で食べ物を口にしてはいけない(ついでに『時間内に戻ってくる』)』という誓約を道中つまみ食いして果たせなかったためパンは激怒、「お前に王女の資格はない」と消えてしまう。

 

ここで萎えた。もう切っていいかな、と思った。

 

この展開の時点でオチは二択だ。

 

①夢から覚めた少女は少し大人になって孤独に現実を歩むことになりましたEND(もしくはあっさり殺されて終わり)
②もう一度チャンスを与えられたオフェリアは今度こそ試練を果たし無事王女様になって幸せに暮らしましたEND

 

どっちかである。

 

伊達にバッドエンダーやってねえんだ、それくらい想像つく。
だけど一応名のある作品、こっから予想外のどんでん返ししたら絶賛してやんよ、と鼻で笑い視聴続行した。

 

ちなみに作品名で画像検索すると出てくる手に眼があるキモいバケモン(ペイルマン)が出てくるのもこのシーンです。

このビジュ見たらホラーと勘違いする層がいてもおかしくないが(実際追いかけてくるのでこのシーンだけに関してはホラーだが)ここまでインパクトのあるクリーチャーは他には出てこないので安心してください(?)

 

メルセデス無双

萎えてからはメルセデスさん(親父のアジトのメイド兼反乱軍のスパイ)の無双っぷりを楽しむ映画と化した。

 

メルセデス鬼つええ!このまま親父も周りも全員ブッ殺していこうぜ!

 

直接ブッ殺すまではいかずともあの親父に一泡吹かせオフェリアを捜索&救出する余裕すら見せつつ完全勝利したメルセデスと仲間達。つええ。


ラストシーン

結局上記の①と②のミックスのようなオチでした。がっかり。

パンと会話しているオフェリアが何もない宙に向かって喋っている状態であるのを親父の視点を通して見せられたところで一連のファンタジーは全てオフェリアの空想であったことが明かされる。
そして撃たれたオフェリアは、今際の際に試練は果たされ王女として迎え入れられる夢を見ながら絶命。

 

ああ、ハイ。

という感想しか出なかった。

 

戦火の中を生きる現実の少女の末路としては可哀想、でも本人は満足して死んだので幸せ。
教科書のようなメリーバッドエンド。

 

つまんね〜〜〜〜。

 

何の面白味もないお話でしたとさ。


画とコンセプト

とまあストーリーは陳腐そのものだが金かかってるな〜って感じの画面の華やかさと『現実とファンタジーの交錯』というコンセプト自体は決して悪くなかった。

特にCG。07年にしては相当クオリティ高くない?現実世界の画面の暗さとファンタジー世界の過剰なまでの煌びやかさも対比としては美しいと思った。

コンセプトに関してもパンをはじめとするファンタジーはオフェリアの空想だったわけだが、全部が全部空想ではない。

パンが与えたマンドラゴラの姿は大人たちも認識している(ただし動いている様を視認していたかは微妙なのでただの変な形の植物にしか見えていないかもしれない)し、何より最初の試練でオフェリアが木の根の蛙を倒したことで本当に木が蘇り花を咲かせている。VS蛙が空想だったなら木は死んだままのはずなのに。

このあたりの『魔法は本当はあるのかもしれないね✨』みたいなディズニーチックな雰囲気は好きな人は好きだろう。

 

結局雰囲気映画なのだ。

ストーリーや設定の緻密さや俳優の渾身の演技でブン殴ってくるタイプではない。

実際この作品が好きな人は「世界観が好き」「雰囲気が好き」という意見が多い。
私もいわゆる雰囲気映画・雰囲気ゲーと呼ばれるやつの中に好きな作品も多々あるので気持ちはわかる。だがパンズ・ラビリンスの空気感は私には合わなかった、というだけの話である。


で、結局何映画なのか

観た上でカテゴライズしろと言われてもめちゃくちゃ難しいな……と思いました。
確かに広義で括るならダークファンタジー…だと思う。
しかし今や『ダークファンタジー』の定義自体が広がりすぎてこの言葉だけでは説明不足すぎるのだ。
実際22年現在『ダークファンタジー』という言葉を聞いて各々が想像するものは千差万別だろう。

 

かわいらしい女の子が血みどろで戦う話。
一見王道ファンタジーに見えて裏設定が鬱すぎる話。
キラキラした魔法世界なのになんだか仄暗い雰囲気が漂う話。

 

定義が広すぎる。
『王道ファンタジー』という言葉でパッと思いつくディズニーのシンデレラですら原点のグリム童話を辿れば魔法使いもいなければ足を削ぎ落としたりしているのでダークじゃないファンタジーなんて本当はないのかもしれない。

 

当方もダークファンタジーという言葉とキービジュの写真&パケ裏の情報だけの段階だと『可哀想な女の子がファンタジー世界を冒険するけど実はその世界は…』みたいな話かな、と思っていた。がっかりしたのはそこらへんの予想との齟齬もあるかも。もっとメルヘンかつグロテスクな世界が見れると思ってたので。

その上でパンズ・ラビリンスを端的に説明しろと言われたら『可哀想な女の子が現実とファンタジーを行ったり来たりする話』と言うしかないな…。


人によって評価は分かれる。でも雰囲気が好みならとことん好きになれるかも。そんなパンズ・ラビリンスでした。

相貌失認の話

私は相貌失認(失顔症)である。
人の顔がわからない。記憶できない。

記憶力自体はそれなりに自信がある方なのだが、視覚情報、こと人の顔に関してはさっぱりである。

 

人生で最初に違和感を覚えたのは小学生の頃。

うちの母校は防犯上の観点から名札をつけるのは1年生のみ、かつ校内限定というルールだった。

上述の通り文字情報の記憶は問題なかったので、クラスメイトだけでなく学年百数名の名前は夏休みに入る前に全員覚えた。

それでも今思うとおそらく名前と顔を一致させて覚えていたのではなく、『太ってる奴、背が小さい奴』といった見た目全体の特徴や『おしゃれで気が強い女、足がクソ速い男』といったレッテルの組み合わせで記憶していた。イヤな覚え方である。

 

一度覚えてしまえば二度と会わないようなことがない限り忘れることはないので学校内での生活は問題なかったのだが、それはある日突然訪れた。

学校が終わって帰宅しようとしたとき、階段ですれ違ったおばさんに声をかけられた。


「あら、ユニちゃんこんにちは〜」と。


放課後の学校に保護者が現れるのは珍しくない。その人もきっとPTAか何かの集まりで顔を出したのだろう。

しかし私はその人の顔に全く覚えがなかった。向こうが知っているということはそこそこ親しい友達のお母さんのはず、なのだが。

とりあえずその場は「エッアッ…ドモ…コニチハ……」と凌ぎそそくさと帰った。

帰宅後、母にその人の特徴を告げたら、「え?●●ちゃんのママじゃん」と返ってきた。

 

●●ちゃんは、つい数日前家に遊びに行った子だった。

 

友達の家のお母さんというのは来たときと帰るとき以外ほとんど干渉してこないものだが、そのときはリビングでゲームをしており、お母さんも洗濯物を取り込んだり夕飯を作り始めたりでずっと同じ場にいた。

 

全然記憶がない。

 

えぇ…?私こんなに忘れっぽかったっけ?と思ったがテキトー人間の母も「友達のお母さんなんてそんなもんよね〜」と笑い飛ばしていたので気にしないことにして小学生時代は終わりを告げた。
(ちなみに母も自称相貌失認で遺伝だよ〜とか宣っているがあれは単にガサツなだけだと思っている)


そして中学生になった。
ここで今度こそ叩きつけられた。
まっっっったく顔と名前が覚えられない。
極め付けは今度は名札もなく、全員が同じ制服を着ている。そして女子校。校則もそこそこ厳しく皆黒髪で髪型の違いくらいしかない。
学年全体の人数も跳ね上がり、一クラスあたりの人数も多い。

 

諦めよう!

 

5月末くらいにそう決めた。この時点でまだクラスの4分の1程度しか覚えられていなかった。

 

どっこい、そうは問屋がおろさない。

 

学校生活でほぼ毎日発生する業務、『ノート返却』。
宿題等で回収し先生がチェックしたノートを職員室に取りに行って皆の机に配布するアレである。

 

本気で泣きを見た。

 

入学当初は席順が名前順なので問題なかったが、最初の席替えからが地獄だった。
とりあえず自分と数少ない友達の分を戻し、なんとか覚えている子の分を戻す。それでもまだ手元には半分近くのノートがある。途方に暮れる。

仕方がないので残りカスレベルのコミュ力を振り絞ってその場にいる子に「ヘヘ…▲▲さんって…席どこだっけ…」と話しかける。

大体の場合はあそこだよ、で終わりだが、たまに「は?ここなんだが」と言わんばかりにすぐ隣や後ろの席を指差されたり「マジかよコイツまだクラスメイトの名前覚えてねえのか」というオーラを出されるともう無理である。

 

人の顔、わかんねえ〜〜〜。
しかしまだ相貌失認という言葉を知る前だったので、単に私が他人に興味が薄いせいだと思っていた。

 

いよいよ生活に支障が出てきたところで編み出した突破策は『』だった。

目も悪けりゃ性格も口も顔も悪い人間に与えられていた唯一の天啓は聴力だった。ついでに00年代アニメ記事の通り色々アニメを見ていた結果声優の名前は覚えていた。声優は名前と声で記憶するので何の問題もなかった。もちろん写真出されてこの人は誰でしょうとされたらわからんが声を聴けば誰だ、というのはすぐわかった。

(ちなみに二次元キャラは相貌失認の対象にならない。彼らは姿形声全てが限界まで記号化されているのでいくらでも覚えようがある)

ということで日常生活で出会う人たちも声で記憶することにした。とはいえこの方法は実際にある程度会話しないと使えないので、中高6年間遂に会話することなく終わってしまった子に関しては『知らない子』のままだった。

 

大学生になった。私はぼっちだった。

あの典型的なウェイのノリについて行けずついて行く気もなく気付けば丸一年ひとりだった。
逆に楽だった。無理して覚える必要がないというのはなんとストレスフリーだろうか。強がりでもなんでもなくぼっちライフを謳歌していた。

それでもなんでこんなに顔覚えるの苦手なんだという思いは漠然とあり、手にしたばかりのスマホで調べてみた。

 

そこでようやく相貌失認という言葉を知った。

先天性疾患のようなものと知って生まれつきならしゃあねえか〜とようやく腑に落ちた。

程なくしてかのブラピも自身が相貌失認であることをCOしたというニュースも流れた。
そんな珍しいものじゃないんだな、と心が軽くなるのを感じた。

 

大学2年目の半ばくらいにようやくぼちぼち人と喋るようになったが、その時にはもう開き直っていたので「話しかけてくれてありがとう、でも私人の顔覚えられなくて君の顔も明日の朝には忘れてしまうから私が覚えるまで毎回自己紹介して」と微妙に上から目線で釘を刺しつつ接するようになった。このスタンスは今でも続けている。

幸い皆ノリが良く、本当に毎日会う度に自己紹介をしてくれたので無事人並みの学生生活にシフトチェンジすることに成功した。

 

社会人になっても時々「この書類●課の××さんに持ってって」と言われて半泣きになることさえあれど、業務上関わりのない人はとりあえず諦めて覚えなきゃいけない人に徹することでなんとかしてきた。時々新人が上司に連れられて「新しく入りました■■です〜」と挨拶回りに来るが大体帰る頃には顔も名前ももうわからない。そんな生活でもなんとかなっているのでもういいや、と思っている。

関わりのない人は関わったときに記憶すればいいのだ。


とまあ私の場合は記憶するまでに時間はかかるし顔はすぐ忘れるけど『●●さんという人』という情報自体は声や他の特徴と結びつけて一度記憶すればそうそう忘れることはないので軽〜中等症レベルだが、重度になると今まさに目の前で話している人が誰かわからなくなるというので大変だなぁと思う。


とはいえ、全く困ることがないわけではない。

 

映画やドラマを観るときである。

過去記事で少し触れた映画の視聴に関して腰が重い、芸能人に極端に疎いというのはこれが原因である。

登場人物が概ね出揃うまでの最初の30分くらいはとにかく集中する必要がある。声をはじめ覚えやすい特徴を見つけ出しながら、登場人物同士の関係性も、ストーリーも把握しなければならない。
この時点ですんごい疲れる。頭痛い。一時停止できる環境なら一旦止めて休憩したくなるレベルなのだが、休憩している間にも定着していない情報はどんどん抜け落ちていくので止めている余裕がない。

それでも直前まで喋っていた人物が次のシーンで髪型や服装を変えて現れると同一人物であることがわからず、新キャラと誤解して混乱する事態もままある。

 

しんどい。

 

邦画はともかく洋画となるともっと大変である。外国人の顔、本っ当にわからん。人種の差以外みんな同じに見える。

たまに『洋画を吹替で観る奴とは仲良くできん』みたいな字幕原理主義者みたいなのがいるが、相貌失認にとっては登場人物の把握にほぼ全てのリソースを割いているところに更に『ストーリーを文字(視覚)で追う』というミッションが追加されるともうパンク寸前なので基本的に吹替しか選択肢がない。吹替担当の中に知ってる声優がいれば『CV●●の奴』という情報でだいぶ助かるし。

 

というわけで観たい!と思う映画があっても登場人物がやたら多かったり単純に時間が長いと躊躇してしまう。最近観た中だとダンサーインザダークとミッドサマーがギリギリだった。なんとか食らい付いて完走した、くらい。人物数、上映時間的にはヘレディタリーやエスターくらいのボリュームだとちょうどいい。

一時期湊かなえの『告白』の映画化を皮切りにスクールサスペンスみたいなのめっちゃ流行ったし当時の年齢的にも観てみたいと思うお年頃だったけど同じ制服着た30人弱で展開される話とか何一つ把握できないまま終わりそうだと思ったので結局観てない。

 

国内の芸能人に関しても基本的にアイドルは興味がなく、ドラマもほとんど観ないので全然わからない。SMAPはギリわかるけど嵐は怪しい、くらいのレベルである。
小学生のとき『野ブタ。』が放送され、世間は修二と彰青春アミーゴ野ブタ観てないと学校で人権がなかったので仕方なく片手間で観ていたが結局最後までどっちが修二で彰なのか、どっちが亀梨で赤西なのかわからなかった。今もわからない。
AKBが出てきたときなんかはとうとう芸能界が主導してクローン人間製造に手を出したのかと驚愕したものだ。でもK-POPアイドルはクローン人間でしょう?

お笑いは好きなので芸人の方が比較的よくわかる。彼らは職業上特徴的な顔立ちや服装をしているので覚えやすいというのもある。いっぱい喋るし。
逆にモデルなんかはバラエティに出て相当喋ってくれないと一生覚えることはないと思う。

 

『好きなタイプ(顔)』『顔が好きな芸能人』とか聞かれてもそもそも理想像というものがないので答えようがないし「あたし●●が好き〜」とか言われても出てこないので返しようがない。

 

タレントや俳優も顔より声で覚えている。その面では一番わかりやすいかつ好きな声の芸能人は玉木宏です。いい声。

テレビに出る人たちみんなフワちゃん並に目立つ&被らないトレードマークつけてくれないかな。


日常の困ることもう一つ。

 

待ち合わせ。

 

「今ただでさえマスクでわかりにくいから大変だね」と思った貴方。優しいんですね。
でも全部出ていてもわからないものが半分になったところで変わらないので大丈夫です。ありがとう。

知人であればまあ見つけられなくはないが人混みでは大体見つけてもらう側である。

 

リア友ならいいが、オタクは軽率に顔も知らぬフォロワーやオン上の知り合いに会いに行く。
ガチ初対面の場合は「推しカラーのスカートです!」「痛バ持ってます!」みたいなやりとりがあるので無事会える。そしてそのままコラボカフェやらイベントやら行き、一日遊んでバイバイ。

 

問題は2回目からである。


普通の人は一日共にした人の顔は普通に覚えてるらしいので当たり前のようにノーヒントである。

 

「改札出て右にいます〜」知らんがな。


初対面時に相貌失認の旨を伝え忘れるとこういう事故が起こる。相手はすぐ目の前なのにひたすらキョロキョロしている。

相手のコミュ力>私のコミュ力であれば向こうから来てくれるので助かるが、逆の場合は何やらそれらしき視線をチラチラ向けられるが決定的に話しかけてきてはくれないので目の前だろうが白々しくても「すんませ〜ん見つけらんないです〜」とか言いつつ電話をかける。

なので『会うの2、3回目の人』が速攻で私を見つけて駆け寄ってくるとすげえビビる。なんでわかるん?私そんなに特徴的な顔もファッションもしてないんだが?怖…ってなる。

これが顔を覚えてるってことか〜といつも思う。普通の人、すごい。

私だったら「ちょっとその場でデケェ声出してもらっていい?」って言いたい。公共の場で人様に急に叫ばせても何の問題もない立場なら。

相手を見つける自信がないときは誰よりも早く待ち合わせ場所に着くのが一番。あとは『ここにいます』って言っとけば相手が捜してくれる。先手必勝。他力本願。

 

『累』の記事の後にこんなこと言うのもアレだが人は見た目が9割とは言うが正直顔なんてどうでもいい。顔がわからない人間からしたらその9割は清潔感とか態度よって構成されていると思っている。美人は3日足らずで忘れるしブスは5分で慣れる。

 

顔など所詮、頭蓋骨に貼り付いた肉の造形に過ぎんのだよ。


取り留めのない話になってしまったがこの記事がどこかの誰かの共感やヒントになってくれれば幸いである。

喪女が語る好き漫画〜『累』にみるVtuber〜

鬱シリーズにカテゴライズしようかちょっと迷ったけど胸糞悪くなる感じではないな…と思ったので単純な好き漫画記事です。あと鬱シリーズばっか書いてると頭おかしなるので

 

演劇漫画が好きだ。バレエ漫画なんかも好きだ。
ああいうのは非凡な才能を持った主人公が周りを蹴散らしながらスターダムを駆け上がっていくので見ていて気分が良い。
あとは生まれてこの方日陰者なのでステージの上で輝く存在というのに漠然とした憧れがある。ライブや観劇などに行くと本来の楽しみと同時になんとなく羨ましさを感じる。一度でいいからスポットライトを浴びてみたい、そんな人生。
逆にバンド漫画みたいなのはあまりハマらない。みんなで切磋琢磨しながら泥臭く這い上がっていくのは性に合わない。

 

…といっても伝説的演劇漫画ことガラスの仮面未読なんですけど。まだ未完と知って腰抜けたよあたしゃ。

今んとこ読んだのはこの『累』と『昴』、『マチネとソワレ』あたり。SWANと舞姫テレプシコーラを読めよ。読みますいつか。

あとアクタージュも読みたかったんですが…残念でしたね…。

今気になってるのは『ダンス・ダンス・ダンスール』。マンガワンに一気読み来たとき7巻あたり?まで読んで面白かったので完結したら読もう〜と思ってたら気付けば既刊30近くなってて焦ってる。アニメもやったばっかだけどどうだったんだろ。よさげだったら見たい。

 

https://evening.kodansha.co.jp/c/kasane.html

 

一話はこちらから。要は『醜い女が他人と顔を入れ換える口紅を使い、美しい者の顔を奪いながら女優としてのし上がっていく話』です。
(※ちなみにこの世界はファンタジーなので母の代から何百何千回使っても口紅は減らないし警察は無能なので登場人物がどれほど殺人や死体遺棄をしても気付きません)

 

『醜い自分を捨てて美しくなりたい』

 

わかる。容姿に関して揶揄われたりいじめに遭った経験はないが、それでも美人とは程遠い醜女の喪女なのでめっちゃわかる。
なんならこの数年のマスク生活のうちに整形すっか!などと現在進行形で考えている。しかし予定外の出費が嵩み実行できていない。早くしないとマスク生活が終わってしまう。急がなければ。

女性にとって、いや男性であっても『美しくなりたい』という願望は誰にもあるものだが、ハシカンやら石原さとみみたいな顔になりたいと思いこそすれど実際に彼女ら自身になりたいわけではないだろう。
『累』は演劇漫画であると同時に、『他人の顔を奪い、他人として生きていくとどうなるか?』を描いたヒューマンドラマでもある。

 

・自分を捨てて別人になることは幸福か?

最終的にかさねは美しい姿でいることに苦痛を感じるようになった。舞台で喝采を浴びる人物は他人の顔に設定された性格を入れた仮初の存在であり、その中に居る『淵かさね』のことは誰も知らない。誰も自分を見てくれない。そのことに孤独を感じてしまったのだ。


読んだ当時はそんなもんかねぇと思ったが今ならわかる。


Vtuberである。


彼らもかさねと同じで『ガワ』と呼ばれる美少女やイケメン(だけではないが)の姿を持っているが、その中で実際に考え、話しているのは紛れもなく人間だ。普通に戸籍があって、ジャージでコンビニに行ったり休日は学生時代の友達と遊びに行ったりする普通の人間だ。
リスナーはしばしばそのことを忘れ、問題になったこともある。Vtuberはガワ+声だけの存在だとつい思いがちなのだ。

実際人気Vと呼ばれる、または呼ばれていた存在の中で既にこのかさねと同じ状態に陥った人は絶対いるだろうと思っている。
美少女の容姿と可愛らしい声と面白い配信内容でどれだけ『●●(キャラ名)すき』と言われても赤スパを投げられてもそのリスナーの愛は決して中の人に向けられることはない。リスナーが愛しているのはあくまで『●●というVtuber』だから。


自分なのに自分じゃない存在が勝手に独り歩きしていく様は誰にとっても恐ろしいと思う。

 

「チヤホヤされたいしあわよくば有名になりたいからVtuberをやる。別に趣味だしやめたくなったらやめればいいし」というスタンスの人は非常に危険だと個人的には思う。目論見通り有名になれたとて独り歩きしていくガワと中身である自身との乖離に向き合えるのか。なれなかった場合本来の自分と正面から向き合えるのか。

これはコスプレイヤーなどにも見られる傾向だが、『ガワの人気=自分の人気』だと思い始めたら黄色信号だ。Vtuberをやる上で一番重要なのは自分自身とキャラを切り離して冷静に俯瞰すること、あくまで「自分が●●というキャラを演じている、プロデュースしているんだ」という意識だ。


そもそもVtuberという『もう一人の自分』を生み出している時点で本来の自分に自信がない人が大半ではなかろうか。上述の理由なら顔出し配信をすればいいのに、それをしないのは顔まで出しといて何も成し遂げられなかったとき現実世界で後ろ指をさされるのを恐れているからだろう。シンプルな保身である。(そう考えるとやはり『NEEDY GIRL OVERDOSE』の超てんちゃんもといあめちゃんは強い)

『自分には何もないからせめてインターネットくらいではチヤホヤされたい』という願望はこのSNS社会誰でも抱えていると思う。
しかし虚構の世界であるインターネットでも何も残せなかったそのときは、すごすごと元の現実に戻り本来の自分で生きていくしかないのだ。

かさねには他の追随を許さぬ演劇の才能があった。だから最終的に美しい『ガワ』を手放して醜い素顔で板の上に立つことを選び、最初で最期ではあるが成功することができた。

『累』ではよく舞台上の世界を『虚構』と表現している。虚構の世界を現実にする、それができるのが優れた役者である、と。
生身の人間が立つ舞台はたとえ一瞬でも虚構を現実に変えることができるかもしれないが、インターネットは虚構だ。どこまで行っても仮想空間でしかない。3D化しようともオフラインイベントを開こうとも生身の人間が出てこない限りはVtuberは永遠に虚構だ。そこがかさねとの違いだ。

Vtuberは承認欲求の集積所であってはいけない。趣味でやるならちょっとした変身願望を満たす、イベント会場のようなものであればいい。その変身願望も、ハロウィンでコスプレをするくらいの、配信している時間だけの非日常程度に留めておくのが一番健全だ。
自分を客観視して自我を保って承認欲求をコントロールして楽しいインターネッツを。

 

・演劇が見てえ

 

違う。こんな説教臭い話をするつもりではなかった。

実際のところ『伝説の女優/俳優』ってなんなんだろうか。かさねやその母透世(いざな)は『どんな役でもその場に生きているかのように表現する演技力(と華やかな美貌)』を持ち、それを評価されることで『伝説』とされていた。

現実世界における『伝説の役者』って誰だろう。チャップリンのような斬新さで演劇界に革命をもたらした存在はいるが誰もが圧倒される演技力をもって伝説とされる人物…?

当方とかく芸能人に疎いので全然思い浮かばない。ハリウッド俳優レベルになると限りなく伝説に近い人もいるかもしれない。けど英語できない日本人には外国人の演技が上手いか下手かは正直よくわからない。
それでも『この手の役を演らせたら右に出る者はいない』という人は多くいる。声優でいうなら絶対裏切る胡散臭い役に関しては石田彰の右に出る者はいないし幼女に関しては久野美咲の右に以下略。そう考えると声優界なら山ちゃんが生ける伝説…なのか…??

存命でも故人でもいいので『この人こそ伝説だ!』と思う方がいたら挙げてほしい。

 

それでも『虚構が現実になる』瞬間は確かに存在する。
当方観劇はたま〜〜〜〜に2.5舞台を観に行くくらいなのだが、やはり稀に『●●(キャラ)がいる…………』と思うことがある。
それは大体そのキャラの見せ場と呼ばれるシーンではなく、他の役がメインで話を回しているときに舞台の隅で背景として立っているときの何気ない仕草を見たときだ。

つまらなさそうに髪をいじっていたり、ふと腰掛けたときの座り方だったり。

神は細部に宿るとはよく言ったもので、顔だけでなく中身でも人気のある2.5俳優というのはそういうのが上手い。
それを突き詰めていくといわゆる『伝説』になるのだろうか。

 

演劇漫画を読むと観劇に行きたくなるし、バレエ漫画を読むとバレエを観たくなる。

後者は割と簡単だが、シェイクスピアとかチェーホフだとかの古典演劇が観てみたい!となっても中々タイムリーにやってることって中々ないし情報探すのも難しい。しかも帝劇クラスの大々的に広告打ってて目に入る規模のやつって大体『新解釈!』だの『舞台設定を現代日本に移し』だのの余計なものがついている。
一度でもオリジナルを観たことがあればそれでもいいのだがまずは原典に忠実なやつが観たい。でもやってない。中小劇団でハズレ引きたくない。

難しい。

 

生きてるうちにハムレットマクベスサロメあたりは観たいし、かさねのような役者を見つけてみたい。