喪女と読む鬱漫画〜最終兵器彼女〜
同人誌だこれ!!
読了後の第一声である。
最終兵器彼女。名前はかねがね、という感じだったがずっと読んでみたいと思いつつ忘れ去られていた漫画のひとつだった。
そして22年末、マンガワンに期間限定一気読み作品としてやってきた。
長すぎないし無料で最後まで読み切れそうだったのでこれを機に読んだ。
そして上記に至る。
というわけで。
最終兵器彼女 感想
セカイ系とサイカノと喪女
今でこそパンズラビリンスの記事で綴ったダークファンタジー並に定義がデカくなりすぎてしまった『セカイ系』。とはいえ連載当時はまだ『エヴァっぽいやつ』くらいの括りだっただろう。
セカイ系、定義の広さもさることながら人によって好みが違いすぎるから手出しにくい。なんなら当方はエヴァ履修放棄したオタク失格なオタクなので苦手意識すらある。
そもそもSFから派生したジャンルである以上SF要素はほぼ確定で絡んでくる。SFそんなに興味ない層としてはこれも壁となる。
個人的には宇宙の探索や宇宙空間での戦闘などがメインならSF、それらを遂行する人間の心理描写がメインならセカイ系、として認識することにしているのだがこの定義であれば私の好きなセカイ系というのは人間:宇宙=9:1くらいである。
サイカノは8:2くらいだろうか。比較的読みやすい部類だったとは思う。
ちせタソ萌え萌え
この作品の軸は終末でも恋愛でもなくこれに尽きると思う。同人誌っぽさもほとんどがこれのせいだろう。
兎角作者の『メカメカしい羽を生やした女の子が描きたい』『普段はどんくさいけど戦闘では死神の如く街を消し飛ばしていく強い女の子すこ』という思いがひしひしと伝わってくる。
まあ実際かわいい。今でこそメカ少女・メカバレというのは性癖の一ジャンルとして確立しているがちせはその立役者の一人であろう。
サイカノにマイナス評価をつけている人の意見では『なんで戦争してるのかとかの状況描写が足りなさすぎる』『そのくせ無駄に性描写ばっかり多い』あたりが多かった。わからなくもない。とはいえ説明できなくもない。が、
『同人誌なんだからこまけぇこたぁいいんだよ』
この一言で個人的には全部片付けられてしまった。
戦争に関してはおそらく唐突な気候変動などにより地球がヤバい状態になって比較的安全だった日本の土地を求め各国が攻めてきている、しかしちせ一人では街ごと消し飛ばしながら食い止めるのが精一杯で最終的には北海道だけが残った、という具合だろう。宇宙人でも攻めてきたんか?とか言ってる人は単純に読解力不足です。
性描写に関しては…まあ動物は危機に瀕すると生殖本能がどうの〜とかこじつけられなくはないが確かに「ヤっとる場合かーーッ!」とツッコミたくなる所もある。
ちせ絡みはちせタソハァハァなので。問題はふゆみ先輩とアケミだろう。欲求不満こじらせて若い男に執拗に迫る人妻、という存在はAVにしか必要ない。それ以外の所に出現するとただただ不愉快なだけである。ましてやこんな殺伐とした世界では尚更。しかしふゆみ先輩はわかりやすいヘイト集めキャラなのでそういうものと割り切ってしまえば気にならない。
アケミはなぁ…。ツンデレ幼馴染が死の間際に片想いの心情を吐露する、というかなり悲劇の山場で「胸触って」は流石にズコーとなってしまった。その前に血に塗れたパジャマとシーツがバリバリと音を立てて剥がれる、といった丁寧な『死』の描写があったりしたので余計に。
マン満を持してのちせとシュウジのセックスもこれまでのもどかしい接触を経た上でこの二人の子供が人類の希望になるんやなぁとか思ってたらちせには既に生殖機能が無いことが明かされ、残された時間も少ない終わりゆく世界でただオナホに突っ込んでるだけ、という無駄の極みなシーンになってしまった。リンダキューブのリンダを見習え。
でもまぁ、同人誌なので。描きたいとこ描いたらこうなったというだけってのはよくあるよね。と溜飲を下げた。
ラストシーンとその後と『終わり』
自らの手で人類を滅ぼし地球を終わらせ、『船』となってシュウジを包み込み、宇宙へと旅立ったちせ。
ホログラムとして『ちせ』の姿を現すことはできるが、ほぼ概念のような存在になってしまったちせと、その中で暮らすことになったシュウジ、というところで物語は終わる。
う〜ん、いいメリーバッドエンド。
少なくとももう人間ではないちせと、普通の人間のシュウジ。
メシの問題はとりあえずなんとかなるようだが風呂は?トイレは?人間であるシュウジには寿命がある。共に在れるのも精々100年弱。シュウジ亡き後、ちせは今度こそ一人ぼっちだ。ずっと、あるのかわからない『終わり』を待ち続けながら宇宙空間を漂っているのだろう。地獄。
バドエン厨的には満足だがハピエン厨の中の「ちせが出した食事(=ちせの一部)を取り込んで最終兵器彼氏となったシュウジと永遠に一緒にいられるね!」という狂った意見を見てなるほどなーと思った。
だが、人の心を持った存在に『永遠』は耐えられないと私は思う。
実際かつてはあれだけ錬金術だのオカルトに縋ってまで不老不死を求めた人間も、今では『単純な寿命ではなく健康寿命を伸ばす』『終活』と、『終わり』を見据える方向にシフトしている。終わりのない命を生きることに人は堪えられないと皆薄々気付いているんだと思う。
「今からあなたは不老不死です!切り刻まれても焼かれても血の一滴灰の一片からでも一瞬で蘇生できるよ!おめでとう!」と言われても楽しいのは最初だけだろう。
フィクションにおいてポジティブに不老や長命を謳歌しているキャラというのは大体『移り変わる人や自然の営みを眺め続ける』ことを生きがいとしていることが多い。
しかしちせはどうだ。自らの手で全てを消し去ってしまった。目の前にあるのは恋人とだだっ広い宇宙空間だけ。仮にシュウジが不老不死になったとして、二人の存在が永遠のものとなっても、その間にある愛は永遠ではない。
飽き。倦み。続けば続くほどそんなものに蝕まれていくのが愛というものだ。
心も同じだ。中盤ちせが兵器として『成長』すると共に人間らしさを失っていったのは『ヒト』ではなく『モノ』へと変化していく過程ではなく不滅の『モノ』として永遠を生きていくのに『ヒト』の心を持っているのは辛すぎると無意識的に手放したと解釈することもできる。
一人でも、二人でも、最終的にそこにあるのは人の心を捨てた『何か』だけ。エンディングの遥か先に待つのはどっちみちそんなバッドエンドな気がしてならない。
そんな感じで今年もよろしくお願いします。