御託はいいから00年代深夜アニメの話をさせてくれ④〜07年編〜

厨学二年生。この時期から徐々にアニメ離れが始まった。
理由は様々だが、一番の要因はインターネットだろう。初心者にとってネットは日々新しいコンテンツが発掘される宝の山だ。


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日々のアニメ視聴のための30分はこれらに充てられるようになり、自然とアニメから遠ざかることになった。

2010年くらいから再び見るようにはなったのだが、年代別アニメシリーズは一旦今回で最終回です。

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=1593649

 


瀬戸の花嫁

未視聴。これはほんとに見ないといけないと思ってる。
『クソおもろい』とネットのどこかで聞いた頃には例によって放送中盤。WING本誌、買ってはいたけど毎月ではなかったし読み飛ばしも結構あったので「そういえばあったな」と思い、原作を購入完全に間違ったムーブ


アニメが原作を超えてしまった最たる例。岸監督×当時トップクラスに勢いのあったGONZOでハズレになるわけがないのだ。作者には可哀想な話だが『原作は買うな』とひたすら言われていた程である。


とはいえ私は原作しか読んでないのでこっちの話しかできない。

総評としては『そこまで酷くないよ』。

確かに絵は未成熟だがギャグの勢いとキレは充分だと思う。その荒削りながらも光る部分をしっかり拾い昇華した結果良作アニメになったのだ。
『原作は買うな』というのは『作画もギャグもブラッシュアップされて声もついてるんだからアニメを見た方がいい、わざわざ原作を読む必要はない』という意味であろう。


原作には原作の良さがある、だから原作も読んでみてね、と今は言えるがアニメ視聴後同じことが言えるのか、果たして。

 

らき⭐︎すた

おまたせ。もはや多くを語るまでもないけども。
以前からチラホラあった『日常系』というものを一ジャンルとして確立させ、「MOSAIC.WAVみたいな…」という曖昧なジャンルのアニソンを『電波ソング』として確立しただけでも偉業と言うには充分であろう。
照井君!ワイは15年経ってももってけ!セーラーふく聴きまくってるで!

これは瀬戸の花嫁と違って原作勢もいるので怒られそうなんですが正直原作、アニメ後だとつまんなすぎてびっくりした。


今思えばこれも京アニの手腕というやつですね。というのも日常系というのは原作がいくら秀逸でもそのままアニメ化しただけでは良作にはなりづらいものである。動きもないし。苺ましまろですらアニメは凡作だったあたりいかに難しいかが伺える。

ならばどうするか?濃すぎるくらいの味付けをしてやればいいのだ。キャラの一挙一投足を大袈裟なくらいに表現し、最大限のキャラ付けをする。極め付けに一度聞いたら耳から離れないアニソンを添えて、キャラソンなどのアフターフォローも忘れない。ここまでしてようやく人々の記憶に残る作品になる、と私は考える。
(もっともらきすたに関しては主人公が美少女のガワを被った俺ら、という親近感により浸透しやすい土壌があったという前提はある)

そして華を添えるのに欠かせないのが声優。ハルヒの溌剌とした演技のイメージが強かった平野綾によるふにゃふにゃぽにゃぽにゃしたこなたの演技もインパクトとして大きく残った。学年に数人はこなたの喋り方や言動を真似するちょっとイタい女子、いたでしょ?
平野綾ライフライン事件AYA STYLE事件あたりから声優業を離れ、今尚声優と女優どっちをやりたいのかよくわからないが個人的に彼女の声優としての演技が好きなのでもっと聞きたいな〜などと思っている。)


アニメを構成する全ての要素が水準以上で、かつそれらがしっかり噛み合ったときはじめてメガヒット作が生まれるということを世に示した作品。


ぼくらの

アンインストール。アニメ、原作、小説版すべて中途半端に履修した結果記憶がごちゃごちゃしてる…と思ったらどれもそれぞれオリジナル展開や原作にない要素が含まれてるんですね。そりゃ混乱する。

昔、キッズステーションで『なるたる』の最終話だけ見た。いきなり人がゴミのように殺されてびっくりした。そのなるたると同じ作者と知ったときに全てを察した。


こういう作品、意外とないよなぁ。少年少女が命を削りながら戦う作品は多くあれど命は一回の戦闘で使い切り。その子どもたちも自分がバッテリー同然の存在であることに激昂したり死への恐怖に泣き喚くこともあまりせず、どこか達観しているというか肝が据わっている。(若くして生い立ちが波瀾万丈すぎるキャラが多いせいなのもあるが)
エヴァのパクリ』と言われづらいのもこのあたりが所以だろう。


さよなら絶望先生

これもアニメが原作超えしてしまったパターンだと思うんですがどうでしょう。
ここで後の物語シリーズでもおなじみの独特のテンポ、作画などいわゆる『シャフト感』が完全に確立された。
絶望先生を日常系とするか…は意見が分かれると思うが基本的には学校が舞台で一話完結というあたりでは似通った部分があると思う。それを踏まえてらきすたと比較するとこちらに関しては『制作会社の特色でねじ伏せる』という力技をもってして良作に仕上げた例であろう。

とはいえこの手法は全てをその制作会社カラーに塗り替える、料理でいえば『丁寧にダシ取って野菜の産地やブランドにもこだわり最良の煮込み時間で調理したポトフに大量のカレー粉をブチ込む』ような真似なので原作ファンからは大いに反発を食らう可能性のある諸刃の剣である。
シャフト、個人的にあの雰囲気は好きだが『好きな漫画のアニメ化決まったけど制作シャフトで最悪』みたいな意見もよく聞くので本当に好き嫌いの分かれる会社だと思う。


本作に関しては原作がいろんな意味で非常に薄味なので結果濃い目の味付けでちょうどいい塩梅になったというところか。


ちゃんと三期まで見た。空想ルンバが一番好き。


こどものじかん

今なら絶対放送できませんね。たとえ放送コードが許しても一部に生息する声のデカい方々の猛反発お気持ち表明が目に浮かぶ。
エロだけじゃない!社会問題を取り扱ってるんだ!と反駁しても擁護しきれないある種珍しいタイプ。
でもハナマルセンセイションは名曲なので。

ハナマル☆センセイション

ハナマル☆センセイション

  • provided courtesy of iTunes


まとめ

シンプルにこの年、不作じゃない???って一覧見てて思ったんですが。


らきすたモノノ怪みなみけスクイズあたりのヒット作以外は全体的にパッとしないラインナップだなぁ。

そもそも前年までのアニメの二期三期がかなりの割合を占めていて完全新作が少ない。そして枠が減った結果オリジナルアニメもどんどん減っていった時期。
加えて冒頭の通りネットに時間を吸われた結果「原作あるならそっち読むわ」となり、アニメに時間を割く意義をすっかり失ってしまった、そんな時期。
次年以降はそれこそゼロ魔絶望先生の二期三期を惰性で見る程度になり、それも終わるか飽きるかすれば他作品に手を出すこともなく、約4年間のアニ豚萌豚生活は一旦終わりを告げた。それでもこの時期は長いオタク人生の中でもかなり充実していたなぁと今でも思う。

 

ちょっと字数少ないのでインターネット老人会当時の思い出話でも。例の如く興味のない方は読まなくていいです。

 

冒頭に列挙した当時のドハマリインターネットコンテンツにニコニコがないのにお気付きいただけただろうか。
ニコニコの一般リリース(β)は07/1/15。
現存する最古の動画(レッツゴー陰陽師)の投稿日が3/6。


おそらくこの年の夏休み頃にはニコ厨が大量発生しさぞ盛り上がっていただろう。それは私の周りでも例外ではなく、友人たちは口を開けば「ニコニコ面白い」「お前も見ろよ」であった。
しかし私は「や、俺はようつべ()で充分なんでw」と流していた。
ニコニコは当初から、なんならごく最近まで会員制サービスだったためメアドを使った会員登録というのは一端の厨房には荷が重かった…というのもあるが、一番の理由は


オタクの必殺技、『逆張り』である。

 

みんなが同じ話してる。ならぜってー見てやるもんか。そういうタイプの人間なのだ。
そう言いつつYouTubeで東方などのニコニココンテンツやニコニコから転載されてきたコメ付動画などを見ていた。本末転倒。酸っぱい葡萄。
結局ニコニコに登録したのはSP1時代(08/3/5〜7/5)。

今でも『旬ジャンル』というやつは嫌いだ。最近で言えば鬼滅も呪術も東リベも一切手を付けていない。ひねくれた天邪鬼には『世間で流行っている』、それだけで跳ね除ける理由は充分なのだ。ガンガンばかり読んでいたのは、(もちろんガンガン作品が好きだからという理由はあるが)ジャンプはみんな読んでるからイヤ、というのもあった。おかげでワンピースもテニプリ銀魂も全然知らない。


他人と同じはイヤ、他人と違う俺カッケー。


これを抱え続けてきた結果、人生のレールも踏み外しまくってきたし、アラサーという後には退けない歳になってしまった以上これからも死ぬまで踏み外し続けるしかない。その先に何があるのか、楽しみでもあり恐ろしくもある。